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ジョン・リー・フッカーを偲んで〜“ブギの王様”と呼ばれたブルースマンの足跡と功績

2019.06.21

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2001年6月21日、“キング・オブ・ブギ”の名で親しまれたブルースマン、ジョン・リー・フッカー(享年80)がカリフォルニア州サンフランシスコ近郊ロス・アルトスの自宅で就寝中に死去した。
死因は老衰・自然死とされている。


彼の活動歴は半世紀にもおよび、そのギター奏法と歌声はブルース〜ロック界へ多大な影響・功績を残している。
彼が生まれ育ったミシシッピ州クラークスデイルは、ブルース発祥の地として知られる場所である。
バプティスト協会の司祭で農業も営んでいた父親の11番目の末っ子として生まれた彼は、幼い頃から霊歌(スピリチュアル)を歌っていた。
家は貧しく、信仰心の厚い両親から神を敬うように教わって育った。
彼が9歳の時に両親が離婚。
母親の再婚相手となったブルースギタリスト、ウィリアム・ムーアからギターの手ほどきを受けるようになる。
さらには、姉の紹介で会ったブルースマン、トニー・ホリンズからギター練習の課題曲として「Crawlin’ King Snake」を聴かされ、彼はますますブルースにのめり込んでゆく。


14歳で家を出た彼は、生涯二度と故郷のクラークスデイルには戻らなかった。
叔母を頼ってテネシー州のメンフィスに辿り着いた彼は、生活のために昼間は働き、夜は酒場やクラブなどで演奏するようになる。
そして28歳の頃にデトロイトへと移り住み、第二次世界大戦中はフォード社の工場で仕事をするようになる。
そこで稼いだ金でエレクトリックギターを手に入れた彼は、デトロイトのイーストサイドにある数々のクラブで定期的に演奏を始める。

「デトロイトの近辺にある色んなナイトクラブで演奏していたよ。かなりいい仕事だった。当時のクラブで演るということは、いい飯のタネになるってことだった。色んな奴らが俺の演奏を聴きにきて“コイツ凄ぇ!”なんて言ってくれたよ。」


30歳を迎えた1948年にロサンゼルスのモダンレコードからリリースした「Boogie Chillen’」が、いきなりのミリオンセラーを記録する。
同曲はR&Bシングルチャートで首位を獲得し、彼は本格的に音楽キャリアをスタートさせる。



続いて同年にリリースした「Hobo Blues」もヒットし、彼は一気に知名度を上げてゆく。
一躍“名の知れたブルースマン”の仲間入りを果たした彼は(契約上の問題をクリアするために)キング、チャンス、ゴサムなど他のレコード会社でも別名を使ってレコーディングをするようになる。
「テキサス・スリム」「デルタ・ジョン」「ジョニー・ウィリアムズ」「ジョン・リー・ブッカー」など様々なレコードに彼の別名がクレジットされたという。
その後、1951年には「I’m In The Mood」で再びR&Bシングルチャートの首位を獲得。1955年頃から新進レーベルとして勢いのあったVee-Jayレコードと契約し、白人層にも知られるようになってゆく。
1970年代以降はカルフォルニア州に移り住み、ライ・クーダー、ジョニー・ウィンター、キース・リチャーズ、ヴァン・モリソン、マイルス・デイヴィス、ピート・タウンゼント、カルロス・サンタナ、ボニー・レイット、ロス・ロボスなどなど、ジャンルを超えた様々なミュージシャンとの交流を深めていった…



<引用元・参考文献(CDライナーノーツ)「THE BEST OF VEE-JAY YEARS JOHN LEE HOOKER」藤田正(BAD NEWS)/J!MCO RECORDS>

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