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ジム・クロウチを偲んで〜飛行機事故で夭折したシンガーソングライターの足跡

2019.09.20

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1973年9月20日、アメリカのシンガーソングライター、ジム・クロウチ(享年30)が飛行機事故で亡くなった。
その日彼はノースウエスト・ルイジアナ大学での公演を終えた後、バンドのメンバーと共に約112キロ離れたテキサス州シャーマンへ向かうためにナッチトチェス飛行場でチャーター機に乗り込んだ。
飛行機は離陸後まもなく飛行場内に1本しかないぺカンの木に接触しバランスを失い墜落…彼を含む乗員全員が即死した。
墜落事故の原因は諸説あるが、パイロットの冠動脈疾患のせいで意識を失ったという説が有力である。
それは偶然にも新曲「I Got a Name(アイ・ガッタ・ネーム)」 がリリースされる前日の出来事だった。


曲がりくねった道に沿った松の木のように
僕には名前がある
僕には名前があるんだ
歌を口ずさむ鳥や沿道で鳴くカエルのように
僕には名前がある
僕はこの世に生まれたのさ


彼の死を悼むかのように、翌月からこの曲はBillboardチャートで17週間もランクインし続けたという。
前年の1972年にメジャーのABCレコードと契約を交わし、ソロ名義のシンガーソングライターとしてようやく日の目を見はじめた矢先の悲劇だった。
奇しくも彼の遺作となったこの曲の作詞作曲は、別の人物が手掛けたものだった。
この歌は同年に公開された映画『ラスト・アメリカン・ヒーロー』(1973年)の主題歌として作られたもので、作詞はチャールズ・フォックス、作曲はノーマン・ギンベルが担当した。
彼等は、ロバータ・フラックのヒットで知られる「やさしく歌って(Killing Me Softly With His Song)」の作者でもあり、数々の名曲を生み出したゴールデンコンビだ。
この曲で歌われている「〜so life won’t pass me by(人生が僕を追い越していかないように)」とは、何を云わんとしていたのだろう?
29歳でデビューに漕ぎつけ、30歳にして幸先よくヒットを飛ばし“まさにこれから”という時に事故死したジム・クロウチの人生に重ね合わせると…悲しくも皮肉に聴こえてくる。

ハイウェイをまっすぐ進むんだ
ハイウェイを転がりながらでも進むんだ
前へ前へと
そしたら何かが見つかるはずさ
北風がピューピュー空に吹き付けるように
僕には歌がある
僕には歌があるんだ
夜に鳴く鳥や赤ちゃんの泣き声のように
僕には歌がある
歌を歌うために生まれたのさ


1943年1月10日、彼はフィラデルフィアで生まれた。
両親は共にイタリア系のアメリカ人だった。
幼少の頃から音楽が大好きで、5歳の時にアコーディオンを手にしたのが最初の楽器体験だったという。
18歳でギターを弾き始め、大学時代にザ・スパイアーズというフォークグループに参加する。
同グループは地元で人気を集め、ラジオにも度々出演しながら自主制作でレコードをリリースをするまでとなった。
大学卒業後、彼はしばらくの間、中東やアフリカに遊学をする。
帰国後は定職に就かず、地元のラジオ局の広告取りの仕事をしたり、建設現場での肉体労働をしながら、自分の音楽を追及していたという。
1966年、彼はユダヤ人の女性イングリッド・ジェイコブソンと結婚する。
当時彼は23歳、そしてイングリッドはまだ19歳だった。
彼は特に宗教には興味は無かったものの結婚を機にユダヤ教徒となる。
その年に両親から貰った結婚祝い金500ドルで、彼は自主制作アルバム『Facets』を500枚だけ発売する。
両親はそれが失敗して正業につくことを願ったが…期待に反してレコードは全部売れ切れてしまう。
1968年、彼は25歳の時に大学時代の先輩でもあったプロデューサーのトミー・ウエストに勧められニューヨークに引っ越し、1969年1月に夫妻名義のアルバム『Jim & Ingrid Croce』(キャピトル・レコード)をリリースする。
その後夫婦は2年間かけてプロモーションツアーを敢行した末に、音楽稼業にもニューヨークにも嫌気がさして…それまでの借金を返済するために一本のギター以外は財産をすべて売払い、彼の生まれ故郷フィラデルフィアの田舎に引っ越す。
妻のイングリッドは当時の事をこんな風に振り返っている。

「私達がニューヨークからフィラデルフィア戻ったのは1971年のことだったわ。私達は小さな農家に住んだのよ。お金なんてまるでなくてね。ジムはトラックの運転手をして、私は陶芸をしてしばらくの間は過ごしたわ。ある日、私のお腹の中に赤ちゃんができたことがわかったの。」

妻の妊娠を知ったジムは、子供のために本格的に音楽家になろうと一念発起する。
古い農場に住みながら曲を書く生活をするために、ジムはトラック運転手とは別に建築現場の溶接工の仕事もやるようになる。
その後、ラジオ局に就職してコマーシャルのアナウンスを担当していた時に、ようやくチャンスを掴み、ABCレコードとの契約に漕ぎ着ける。
そして1972年、29歳の時にシングル&アルバム『You Don’t Mess Around with Jim(ジムに手を出すな)』をリリース。
さらに、翌1973年3月20日に発表したシングル「Bad, Bad Leroy Brown(リロイ・ブラウンは悪い奴)」がついに全米ヒットチャートのNo.1に輝く。
それから半年後の9月に彼は突然この世を去ることとなる。
彼の死後、1stアルバムから急きょシングルカットされた「Time In A Bottle」が、
1973年の年末最終チャートでNo.1に輝く。

もし瓶の中に時を貯めておけるなら
何よりも僕は
永遠の時が終わるその瞬間まで
日々の時を貯めておきたいと思う
君とただ永遠の時を過ごすために…


もしこの日々を永遠に残しておけるなら
どんな願いでもかなうような言葉があるのなら
僕は毎日を宝物にして蓄えて、
そしてもう一度、君と一緒の日々を過ごしたい…



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