TAP the DAY

ブレイク目前だった荒井由実(ユーミン)が出演していたジャパン・ロックフェスティバル

2014.05.17

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「第2回ジャパン・ロック・フェスティバル」が日比谷野外音楽堂で開催されたのは、1975年5月17日の土曜日。
出演は加藤和彦&サディスティック・ミカ・バンド、クリエイション、バンブー、荒井由実&ダディ・オー、金子マリ&バックスバニーなど、世界のロック・シーンと意識がシンクロしているシンガーとバンドだった。

日本のブルースロック・バンドの草分けとなるブルース・クリエイションを20歳の時に結成したギタリストの竹田和夫は、全曲を英語で歌ったアルバム『CREATION』を6月5日に発表する直前にいた。

天才ギタリストを呼ばれた10代のギタリスト、Char(チャー )のバンドでの歌が評判となり、”下北沢のジャニス”と噂されていたのが21歳の金子マリだ。

デビュー4年目を迎えた荒井由実はこの時22歳、オールディーズ調のシングル「ルージュの伝言」がラジオでもよくかかるようになって、知る人ぞ知るという存在から一般の音楽ファンにも名前が知られつつあった。
3枚目のアルバム『コバルト・アワー』がブレイクして”ユーミン”の時代が華々しく幕を開けるのは、この日のライブから3週間後、6月20日のことである。

70年代のクロスオーバー・ブームの魁となったバンブーは、YMOのサポートギタリストとしても活躍することになるギタリストの大村憲司を筆頭に、名うてのミュージシャンたちが集まったインストゥルメンタル・バンドだ。

そしてヘッドライナーだったサディスティック・ミカ・バンドを率いていたのが、日本のロック・シーンを切り開いた先駆者の加藤和彦である。
学生時代にアマチュアバンド、フォーク・クルセダーズの解散を記念して作った自主制作盤から火がついて、1967年の暮から翌年にかけて「帰って来たヨッパライ」がミリオンセラーを記録した。

本人曰く「20歳ちょっとの若者にしては分不相応な印税収入が入ってきた」ことから、アメリカやヨーロッパを旅していた加藤和彦はイギリスに来て目覚めた感覚があったという。

前からなんとなくイギリス的なものは好きだったんですけど、空港に降りた途端「ここが僕の街だ!」みたいな感覚があってね。アメリカのヒッピーとは違ったロンドンポップっていうね。グラムロックのちょっと手前ぐらいのときで音楽シーンの黄金時代ですよ。


ロンドンに足繁く通うようになった加藤がグラム・ロックのグループを観ていてバンドを作りたくなり、夫人の加藤(現・福井)ミカと始めたのがサディスティック・ミカ・バンドだ。

日本ではさほど目立たなかったファースト・アルバムが、イギリスでは輸入盤として出回って好評を博し、そのレコードが縁となってロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーや、プロデューサーのクリス・トーマスと知り合った。

今でも歴史的傑作とも言われる「黒船」を、クリスのプロデュースで制作したのが1974年で、『Black Ship』のタイトルで1975年にイギリスでも発売された。そしてサディスティック・ミカ・バンドは10月から、ロキシー・ミュージックのオープニング・アクトで全英ツアーを行うことになっていた。

5時間に及んだこの日のパフォーマンスからは、新しいセンスを持つバンドやシンガーたちが、いよいよメインストリームに踊り出ることが時間の問題だということが伝わるものだったが、みんなが若くて世界の音楽シーンと意識がシンクロしていた。

それから22年後、”ユーミン”は荒井由実時代の楽曲だけを集めたライブで、ゲストにミカを招いてサディスティック・ミカ・バンドの代表曲「タイムマシンにお願い」をカヴァーする。



サディスティック・ミカ・バンド『黒船』
EMIミュージック・ジャパン


荒井由実『COBALT HOUR』
EMIミュージック・ジャパン

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