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ニニ・ロッソを偲んで〜“トランペットの詩人”と呼ばれた男の輝かしい功績

2019.10.05

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1994年10月5日、“トランペットの詩人”と呼ばれたニニ・ロッソ(享年68)がローマ市内にあるジェメリ総合病院で死去した。
死因は肺がんと公表された。
それは恒例の来日公演が決まった矢先の急死だった。
生前ニニは毎年冬に来日して、サンタクロース代わりに施設を訪れ、チャリティー活動を精力的に行っていた。
家族の話では亡くなる前日までとても元気で、次女のアンジェリーカに「ドルチェット(赤ワイン)を買ってきてくれ。」と頼んで、娘が買ってきたワインを病室で美味しそうに飲んでいたという。
翌日、容態が急変し…家族が見守る中、息を引き取った。
前日に家族と交わした会話が最後の言葉だった

「日本公演は予定通りやるから、病気のことは誰にも言わないでくれ。」



哀感を漂わすロマンティックなトランペットの音色で愛された彼は、1965年に「夜空のトランペット」の大ヒットで一世を風靡し、以降イージーリスニング界で世界的な人気を誇る存在となった。
その音楽性は日本でも広く受け入れられ、特にTV番組『水曜ロードショー』のテーマ曲となった「水曜の夜」は、彼の名を知らなくても一度は耳にしたことがある名曲として我々の記憶に残っている。


1927年9月19日、彼はイタリアのトリノで生まれた。
サーカス一座でトランペットを吹いていた父親の影響で5歳の頃から音楽に親しみ、学生時代にはすでにデキシーランドジャズのバンドを組んでいたという。
17歳の時、トリノがナチスドイツに支配されたのを機に、反ナチス集団パルチザンに参加。その戦いに勝利した1945年4月5 日、パレードの先頭でイタリア国旗を振っていたのがニニだった。
その後両親は彼を大学に行かせるが、19歳の時に家を出てトランペットを学ぶ事を自ら選ぶ。
生活のためにナイトクラブで働きながら下積み時代を過ごしたという。
イタリアという国はカンツォーネ、つまり“歌”の国なので、トランペットの演奏だけで人気者になるのは並大抵のことではなかった。
そんな中、彼が日の目を見ることができたのは、映画音楽界の大御所アルマンド・トロヴァヨーリの影響が大きかったと言えるだろう。
アルマンドは彼の才能に惚れ込み、多くのチャンスを与えたという。
そして1954年、27歳になった彼はフェデリコ・フェリーニ監督の映画『道』でニーノ・ロータが作曲した主題曲の演奏を担当する。


以降、1959年の『甘い生活』、翌年の『太陽がいっぱい』とニニは映画音楽を中心に活躍の場を広げてゆく。
1961年に「夕焼けのトランペット」でソロデビューを果たし、さらに1965年に「夜空のトランペット」の大ヒットで、トランペット奏者として不動の地位を築くこととなる。






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