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ジョニー・キッドを偲んで〜英国が誇るパブロックの雄ジョニー・キッド&ザ・パイレーツの足跡と功績

2019.10.07

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1966年10月7日、英国が誇るパブロックの雄ジョニー・キッド&ザ・パイレーツのフロントマン、ジョニー・キッド(享年30)がランカシャー州で自動車事故により死去した。
1959年に1stシングル「Please Don’t Touch」でデビューした彼らは、若かりし頃のビートルズやストーンズのメンバーにも大きな影響を与えたと言われている。
バンドはジョニーの死亡によって解散してしまうが…1976年にギタリストのミック・グリーンを中心にザ・パイレーツとして再結成を果たす。
彼らのロックロールは後にロンドンの音楽シーンを席巻したパンクバンドにも多大な影響を与えることとなる。
ザ・クラッシュのジョー・ストラマーは当時、こんな発言を残している。

「困ったことに、ライブで自分たちの前にザ・パイレーツが演奏すると観客が燃え尽きてしまうんだ。」


また彼らの存在は、ウィルコ・ジョンソン(ドクター・フィールグッド)の人生を変えたとも言われている。

「俺には偉大なギターヒーローがいたんだ。ジョニー・キッド&ザ・パイレーツでプレイしていたミック・グリーンだ。初めて彼のギターを聴いた日のことは今でも忘れられないよ。ラジオで“I’ll Never Get Over You”を聴いた時、俺は静止画像のように身体を一時停止させたんだ。歯切れのいいコードプレイ、シンプルで力強いギターソロ、そしてリズムとリードのパートを一人二役でこなすテクニック。最高にイカしていたよ!俺は自分がやるべきことがはっきりわかったんだ!」



ビートルズが活躍する以前のイギリスのミュージックシーンにおいて彼らの存在は異質だったと言われている。
海賊をモチーフにしたメンバーのステージ衣装、そしてアイパッチ姿で歌うジョニー・キッドの存在感は強烈だった。
元々はジョニーがギターの弦で目を怪我して眼帯をつけて登場したところ、ことのほかウケが良かったのがきっかけだったという。
1960年にリリースした「Shakin’ All Over」が英国チャートの1位に上りつめ、後にザ・フーの名盤『Live at Leeds』(1970年)に収録されたことで彼らの名前は海外のロックファンにも知られるようになる。
この「Shakin’ All Over」は当時の批評家たちからこんな言葉で評された。

「クリフ・リチャードの“Move It”に続く、ブリティッシュロックのクラシックだ!」



1961年、ジョニー以外のメンバーがバンドを離れていく。
翌1962年、ジョニーはビッグバンドを従えたソロ名義でのシングル「Hurry On Back To Love」をリリース。
メンバーは去ってしまったが、ブルージーなこの曲の出来栄えに彼は手応えを感じていたという。


その後、短い期間に新メンバーの加入と脱退を繰り返すが、最終的にギタリストのミック・グリーンが加入したことでバンド史上最強のラインナップがそろうこととなる。
彼らは心機一転シングル「A Shot Of Rhythm And Blues」をリリースするが、売り上げは決して芳しいものではなかった。
翌1963年夏には、あのウィルコ・ジョンソンにとって“運命の一曲”となった「I’ll Never Get Over You」をヒットチャートの4位に送り込む。
勢いに乗って続けてリリースした「Hungry For Love」もトップ20に食い込む結果を残した。
1964年、サウンドの要とも言えるミック・グリーンが、ビリー・J.クレイマー&ザ・ダコタスに加入するために脱退してしまう。
後任ギタリストにはジョン・ワイダー、同時にオルガンのヴィク・クーパーが加入。
その後、彼らは再びヒットから遠ざかってしまい…最終的にジョニーとザ・パイレーツは袂を分かつこととなる。
1966年、ジョニーはミック・スチュワート(ギター)、ニック・シンパー(ベース)、レイ・ソーパー(オルガン)、ロジャー・トゥルース(ドラムス)と新たなザ・パイレーツを結成し、復活の狼煙を上げた矢先…その年の10月7日、交通事故であっけない最期を遂げることとなる。

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