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六角精児 スペシャル・インタビュー【後編】バンド活動から見い出した、“前向きに後ろ向き”な生き方

2020.01.20

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『相棒』『電車男』『カーネーション』をはじめとする人気ドラマに数多く出演し、独特の存在感を放つ人気俳優・六角精児さん。役者としての活動と並行して、自身のバンド“六角精児バンド”を20年以上続けている彼の音楽遍歴から、さまざまな出会いや経験に満ちた20代について語った前編に続き、さらに深堀りするスペシャル・インタビューの後編をお届け。

音楽的に大きな影響を受けた人物についての話、そして内田勘太郎(憂歌団)などがゲスト参加した最新アルバム『そのまま生きる』についてのエピソードなど、またまた六角さんにじっくり語ってもらいました!

【前編】はコチラ

取材・文/宮内 健


    六角精児(ろっかく・せいじ)
    1962年兵庫県出身。学習院大学中退。1982年の善人会議(現・劇団扉座)創立メンバー。以降、主な劇団公演に参加。その後、TVや映画、舞台など幅広く活躍。中でも2000年から出演した『相棒』シリーズで人気を博し、2009年には映画『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』で映画初主演を果たした。1996年に高校の後輩や役者仲間、飲み仲間と「六角精児バンド」を結成し、ライブ活動をはじめる。自身が出演する紀行番組『六角精児の呑み鉄本線・日本旅』で流れる「ディーゼル」収録のデビュー・アルバム『石ころ人生』(2014年)はロングセラーとなっている。2019年12月18日に、セカンド・アルバム『そのまま生きる』を発表した。
    六角精児バンド Twitter

──六角さんにとって大きな影響を受けたミュージシャンを3人挙げるとしたら、どなたになりますか?

 うーん。なぎら健壱さん、下田逸郎さん、そしてジョニー・キャッシュですかね。

 中学生の頃から、なぎら健壱さんが好きで聴いてたんです。そこからカントリーも聴くようになって。デビッド・グリスマン・クインテットなんかも大好きで、高校の終わり頃にはブルーグラス・ミュージックに行き着いてました。なぎら健壱さんの音楽からマンドリンやバンジョーの面白さを知ったし、自分にとってはカントリーやブルーグラスの扉を開けてくれた存在ですね。


 下田逸郎さんは、詞の奥深さを教えてくれた存在。二十代の頃は後ろ向きなものにやたらと美学を感じていたけど、後ろ向きじゃないラブソングでリスペクトできたのは、下田さんの詞の世界だけでしたね。今となってはご本人と仲良くさせてもらって、共演もさせてもらったりと、下田逸郎さんの弟子みたいなもんですから。二十代の頃から憧れてた人間に近寄れたのは、ひとつの大きな成果だし、今の自分が“前向きな後ろ向き”になれたのは、下田さんの詞から受けた影響だと思います。


──ジョニー・キャッシュは、どんなところに惹かれますか?

 人格や人間としてのスタイルですね。不良で、あの声で、しかも死ぬ直前まで歌ってて。晩年の「Help Me」も本当に素晴らしい。なんといっても、あの人の反逆心。監獄で囚人たちを前に“懲役99年”っていう歌(「Cocaine Blues」)を歌うカッコよさ。僕には絶対、出来ないなぁ。自分では歌詞もどうしても笑いの方にいっちゃうから。つまり僕にとって、ロックを感じる存在がジョニー・キャッシュ。あの生き様に憧れがありますね。ジュン・カーターとの恋愛も素敵じゃないですか。


 ひとつひとつの曲を聞いてみると、キャッシュはカントリーやフォークのルーツをしっかりと踏んだ曲を、きちんと作ってきてくれた。もちろんプレスリーもすごいけど、ビートルズと双璧をなすぐらいにジョニー・キャッシュは偉大な存在だと思います。日本では、キャッシュの素晴らしさが残念ながらなかなか伝わってないと思うので、もっといろんな人に聴いてほしいと思いますね。

 そうそう、キャッシュの『Bitter Tears: Ballads of the American Indian』というアルバムを、ジョー・ヘンリーのプロデュースで、ギリアン・ウェルチらが参加してまるまる一枚分カバーしたアルバムがあるんですが(『Look Again To The Wind, Johnny Cash Bitter Tears Revisited』)、これが最高にいいんですよ!


──さて、ここからは六角精児バンドについてさらに訊いていきたいと思います。六角さんは30歳を過ぎてからバンドをはじめて、20年以上も続いています。このバンドをじっくりやっていきたいと思ったのはいつ頃ですか?

 40歳になってからですね。ライブの雰囲気の魅力や、人と合奏することの楽しさを改めて感じた。そこからオリジナルも作ってみようかってなったのは、44、5歳ぐらいの頃ですかね。そういう表現欲がちょっとずつ生まれてきて。とはいえ、スキルも伴わないし、ライブもそんなにたくさんできるわけでもないですから。少しずつ前進していった末に、50歳を過ぎた記念としてファースト・アルバムの『石ころ人生』を作ったんです。

六角精児バンド『石ころ人生』

六角精児バンド
『石ころ人生』

(HOMEWORK)


 このアルバムに収録した「ディーゼル」という曲が、僕が出演している『六角精児の呑み鉄本線・日本旅』で流れるようになったら、年配の方々がCDを買ってくださってね。そうしていろいろなところで聴いてもらえるようになったところで、自分たちの音楽を改めてしっかり出せないかと考えて、もう一度アルバムを作ってみようと決心したんです。そうして完成したのが、セカンド・アルバム『そのまま生きる』です。


──ニュー・アルバム『そのまま生きる』には、六角さん自身やバンドのメンバーが作詞・作曲を手がけた曲のほかに、外部の方が歌詞を提供した曲もありますね。

 「チェルシーホテル」「無頼の眼」「サヨナラなんて柄じゃない」の詞を書いてくれたすとうやすし君は、映画のプロデューサーなんですが、西岡恭蔵とカレン・ダルトンが大好きで音楽に詳しい奴でね。


 彼に詞を書いてみたらどうかって言ったら、チャレンジしてくれたんです。僕を客観視した形で、いろんな方向性を出してくれたんです。これは面白いと思ったし、流石だなって思いました。客観性をもって自分自身を描くことなんて、僕にはできないですから。実は彼、僕の活動を長年見てくれていて、自分を『相棒』にキャスティングしてくれた人なんです。

──そうだったんですか!

 30年以上前に札幌でうちの劇団の公演を観てくれて、「この人いい俳優だな」と思ってくれたようで。その後、ある刑事ドラマにキャスティングしてくれた。そのドラマが『相棒』だったんです。だから、今こうして俳優として知ってもらえるようになったのも、彼のおかげなんです。その人が、また新たな視点でこういう曲を書いてくれて。人と人が出会うことって、こうしていろんな形で膨らむもんなんだなって思いますよね。

──「チェルシーホテル」は、インタビューで前編で六角さんが語られていたような、ダメな男のヒロイックな部分を演劇的な描写で仕立て上げた曲。「無頼の眼」は、博打打ちのギラギラした眼差しを、この男はまだまだ持っているんだぞと気付かせるような内容ですね。

 どちらの曲も、「今のお前だけじゃないんだぜ、本当は」っていうのを表現してくれてますよね。実際ね、そういう眼をしてたらしいんですよ、20代後半の頃の僕が。すとう君も「やべぇなこいつ」と思ってたらしくて……。その頃の僕を知ってる人が今現在の僕を見たら、やっぱり「変わったな」と思うのかもしれないですね。



──そういう六角さん像がありながら、一方で、コミカルでみんなで笑って楽しめる内容なものがありますよね。ファンキー末吉さんの詞曲による「人は何で酒を飲むのでしょう」なんかは、軽快な曲調に乗せて男の悲哀が滲む楽曲ですね。

 この曲は、ファンキー末吉さんのオリジナルなんですけど、自分のためにあるような曲だなと。歌っていいかとファンキーさんに問い合わせたら、ぜひということで今回録音させてもらいました。「私はオルガン」は、ムード歌謡をモチーフにして。オルガンって言葉には内臓って意味もありますし、もちろん「私はピアノ」にもかけてる(笑)。

──ペーソスの島本慶さんが作詞した「悲しすぎる酒」は、途中でものすごくウイスキーが飲みたくなるようなアレンジになりますね(笑)。

 ええ、あの曲を思い切りモチーフにしてますね(笑)。歌詞に関しては、島本さんがペーソスとは違うタイプのものを、人に当てたらどうなるんだろうと思ってオーダーしたら、この歌詞が上がってきた。最近連絡が取れないけどどうしてるかと訪ねていったら、友人が部屋の中で自然死してた……という話を題材にした曲だそうです。そういう経験を島本さんは2回されたそうで。「自然死のことなら俺に聞いてくれ」って言ってましたけど(笑)。いい曲を書いていただいて感謝です。



──そして今作では、ゲスト・ミュージシャンとして内田勘太郎さんが参加されています。勘太郎さんとの接点は?

 勘太郎さんは『呑み鉄本線~』が好きで、よく観てくださっていたそうなんです。あの番組では、BGMを僕が選曲してるんですけど、そこで勘太郎さんの曲も流したら、「ああ、俺の好きな番組に、俺の曲が流れてる!」ってとっても感動してくださって。そこで、一緒にライブをやらないかって誘ってくれたんです。


 名古屋のほうでライヴやることになったんですが、その前にまずは僕らのバンドにシークレットで出たいっておっしゃってくれて。ライブの後、一緒にお酒呑んでるうちに、「今度、六角精児バンドでレコーディングするんですよ」って言ったら「勘ちゃん弾くよ~、なんでも弾くよ~」って言ってくれて。それで参加してもらうことになった。

 「ディーゼル」を再録音した「ディーゼル(臨)」、そして「私はオルガン」「チェルシーホテル」の3曲に参加していただきました。勘太郎さんとのセッションは、それはそれは楽しかったですね。今回、基本的には僕らメンバー4人だけで演奏してるんですが、ずっと変わらないメンバーの音が、そのままあって。そこに勘太郎さんが色付けしてくれた。昔から憧れてた、憂歌団の内田勘太郎さんが入ってくれるっていう、それはたまらない経験でした。



──完成したアルバムをご自身で聴き返して、どんな作品に仕上がったと思いますか?

 昔の自分も今の自分も、そのまま自分じゃないですか。それがこの先につながっていくように、自分が変わりなくあるなっていう、そんなセカンド・アルバムになりましたね。そのまま生きる、そのまま在る。過去と未来があって、今の自分がいる。そんな音楽になったんじゃないかなと思います。

──では最後に、これからやっていきたいことは?

 六角精児バンドでフェスに出たいですね。「ライジングサン」に出たい! 北海道に行きたい! あんまり大きなフェスには興味がないんですけど、「大宴会in南会津」とか、そういう場所で演奏できたらいいなって思いますね。ファースト、セカンドとアルバムをリリースしてくれたレーベル・オーナーのバンバンバザール福島さんの力も借りつつ、ライブハウスのキャパも少しずつ広げていってね。


六角精児バンド。メンバーは写真左から江上徹(ギター/コーラス)、六角精児(ヴォーカル/ギター)、有馬自由(パーカッション/コーラス)、髙橋悟朗(ベース/コーラス)。

──六角さんがこのバンドにかける熱意を感じますね。

 今の自分が一番ポジティブですよ(笑)。ジャンル的には後ろ向きだけどね、これから先も(笑)。あんまりノレる曲じゃないし。まぁ、“前向きに後ろ向き”って感じですかね。あと何年かで自分も還暦を迎えるけど、少しずつ手持ちの曲を増やしながら、全国各地を回れたらいいなって思いますね。そうしたら、子供の頃から音楽が好きだった自分の夢が叶うなって。今はまだ、その途上にいる気がします。

六角精児バンド『そのまま生きる』

六角精児バンド
『そのまま生きる』

(HOMEWORK)




六角精児バンド『そのまま生きる』レコ発ツアー
2020年2月20日(木)兵庫・神戸メリケンパークオリエンタルホテルVIEW BAR
2020年2月21日(金)兵庫・神戸CHICKEN GEORGE
2020年2月22日(土)愛媛・松山 風来坊
2020年2月24(祝)福岡・大名 LIV LABO

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