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追悼・大森昭男~「三木鶏郎の弟子が三木雛郎?それならば…」と三木卵郎を名乗った大瀧詠一

2018.03.30

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大瀧詠一が自らを三木卵郎と名乗っていたのは1977年にサイダー・シリーズを柱とするCMソングでまとめた異色のアルバム、『ナイアガラCMスペシャルVol.1』を出した時のライナーノーツだった。

三木鶏郎の門下生だったことがあるクレージー・キャッツの桜井センリが、三木雛郎と名乗っていたことを知った大瀧は「鶏」と「雛」が来たら、次は「卵」だろうと自分でペンネームに使ったのである。

前例のないところでCMソングを雛形から作り上げた三木鶏郎の後を継いで、70年代の新しいCMソングを生み出そうと自覚していた大瀧には、戦後の焼け野原に風刺と笑いの冗談音楽という花を咲かせた偉大な先輩への敬愛と、その後継者だというひそかな自負を持っていたに違いない。

戦後復興を果たした1950年代から60年代の日本では、まずラジオで民間放送が始まって新しいメディアとなり、それに続いてテレビ放送が一挙に家庭に普及していった。
まったく前例の無いところからCMソングの世界が作られたその時期に、それを飛躍的に発展させていった才人が三木鶏郎だった。

♪牛乳石鹸 よい石鹸♪
♪キリン、レモン、キリン、レモン♪
♪ワ・ワ・ワ ワが3つ ワ・ワ・ワ ワが3つ ミツワ ミツワ ミツワ石鹸♪

♪ジンジン仁丹、ジンタカタッタッタ~
♪うちのテレビにゃ色がない
♪明る~いナショナ~ル、 明る~いナショナ~ル、ラジオ、テレビ、な~んでも、ナショ~ナ~ル♪


1960年からCMソングの音楽ディレクターとなったオン・アソシエイツの大森昭男は当時を振り返って、「三木鶏郎先生のところに入れていただいてそこから始まったんです」と語っている。

日々楽しかったですからね。
クライアントの社長さんと鶏郎先生との打ち合わせがまずある。
先生がアイデアをすぐに表現するんですね。
“くしゃみ3回ルル3錠”とか。
キャッチフレーズ・ウイズ・ミュージック、キャッチフレーズこそコマーシャルの神髄であると。
そういう先生の創造力、表現の過程をそばで体験させてもらっていました。


三木鶏郎のもとでディレクターを務めた大森は10年以上のキャリアを積み重ねることで、CMの世界に地固めした70年代になると自分の采配で新しい才能を発見し、じっくり育てるだけの体制が出来ていた。

そんなときにタイミングよく出会ったのが、大瀧詠一の音だったという。
大瀧の才能を全力でバックアップすることが出来たのは、時代の必然であったともいえる。

幸いに私はそれまでに10年くらいのキャリアがありましたので、クライアントとの間でも信頼関係が醸成されていたんです。
だから作らせてくれた。
大瀧詠一さんにしても、クライアントは知らなかった。
だけど作って結果を出せばわかっていただけた、やらせてくれた。
そういう信頼関係はあったということですね。


大瀧の作るCMソングがクライアントに理解されずにボツになっても、大森が迷うことなくCMに起用し続けたのは恩師・三木鶏郎に繋がる人間的な魅力を感じとっていたからだったという。

だからこそ、表現者としての可能性を信じて場を提供し、活動をか支えることで才能の開花を待ったのだ。

かつて三木鶏郎のまわりには永六輔、キノ・トール、神吉拓郎、野坂昭如、五木寛之、神津善行、いずみたく、桜井順などの才能ある若いクリエイターたちが集まり、仕事を覚えてそれぞれに巣立っていった。

大森は大瀧詠一との仕事から発展して、山下達郎を筆頭に伊藤銀次、鈴木慶一、坂本龍一、矢野顕子といった新しい才能と出会って、彼らをコマーシャルの世界で次々に起用していった。
そして新しい才能を組み合わせたり結びつけたりしながら、それまでにない新鮮なCM音楽に挑んでいったのである。

人と人とのつながりから新しい才能が見出されて、それが発展して新たな表現に結びついていく。
それは昔も今も変わらない、あらゆるものづくりに当てはまる基本なのだろう。

CM音楽の仕事を通して一貫して心に残る音楽を作り続けた大森は、晩年になってこんな言葉を残している。

「広告の言葉、映像は人の感情に訴える効果を狙っています。そこでの音楽の役割はとても大きい。広告スタッフ、特にコピーライターや映像作家とのせめぎ合いのなかから、コマーシャルでありつつ心に残る音楽が生まれる」





(注)本コラムは2014年12月20日に公開されたものを、大森氏の亡くなった後で改訂いたしました。



<お知らせ>

images三木鶏郎の世界

終戦直後の1947年に始まったNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」で一世を風靡した冗談音楽からは、三木のり平、河井坊茶、丹下キヨ子、楠トシエ、千葉信男など多くの喜劇人が育ち、「毒消しゃいらんかね」や「僕は特急の機関士」など、三木鶏郎の作詞作曲による歌が大流行しました。
「ラジオ文化の祖」で「音の文化遺産」でもある三木鶏郎の『みんなでやろう冗談音楽』(1954年)や『トリロー・コーラス』(1957年)の音源、誰もが知っているCMソング、それらの制作秘話を紹介する特別番組、「三木鶏郎の世界」は、12月23日(火・祝)午前9時00分~10時55分に文化放送でオンエアされます。

出演者:泉麻人(コラムニスト) 濱田高志(アンソロジスト) 鈴木純子(文化放送アナウンサー)
・「三木鶏郎の世界」特設ホームページ http://www.joqr.co.jp/toriro/ 


『NIAGARA CM Special Vol.1 3rd Issue 30th Anniversary Edition』
ソニーミュージックエンタテインメント

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