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1989年のボ・ガンボスが残した音、残せなかった音

2015.01.29

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1989年7月1日にリリースされた、ボ・ガンボスのファースト・アルバム『BO & GUMBO』。全編ニューオーリンズにてレコーディングを敢行し、マイアミでミックスダウンが施されたこのアルバムは、デビュー25周年を機に発売されたBOXセット『BO GUMBOS 1989』で、2つのカタチで生まれ変わった──1枚は、1989年にリリースされたアルバムのオリジナル音源にシングル4曲を追加した最新リマスター盤。もう1枚はオリジナル・マルチテープから新たにミックスし直した『BO & GUMBO 2014 MIX』だ。

この時期にあらためてファースト・アルバムをまるごとミックスし直す理由とは? そして1989年に行われたニューオーリンズ録音の想い出を、当時ボ・ガンボスのディレクターを務め、今回の2014MIXを監修した名村武に語ってもらった。


アン・ルイスのバックバンドなどミュージシャンとして活動していた名村は、1988年にEPIC・ソニー(当時)に入社。ボ・ガンボスは彼にとって、ディレクターとして初めて手がけたアーティストだった。ニューオーリンズで開催されるルーツ音楽に特化した野外フェス〈ジャズ&ヘリテイジ・フェスティヴァル〉の時期に合わせた3月中旬から4月上旬にかけて、ドクター・ジョンやファッツ・ドミノなどの作品を生んだ〈ウルトラソニック・スタジオ〉でレコーディングは行われた。どんとが敬愛するボ・ディドリー、ネヴィル・ブラザーズのシリル・ネヴィルといった豪華な面々をはじめ、地元のミュージシャンが多数参加した。

「やっぱりニューオーリンズで録ったことは、メンバーのメンタル面からしても大きく影響してると思う。ネヴィル・ブラザーズは当時イケイケで活躍してて、レコーディングに参加したのはシリルだけど、アーロンやアートもスタジオを覗きに来て。バンドのTシャツを持ってきて、ボ・ガンボスのメンバーみんなにプレゼントしてくれたりね。パーカッションで参加してくれたアルフレッド・ウガンダ・ロバーツは、プロフェッサー・ロングヘアの相棒だったミュージシャンで、アラン・トゥーサンの作品にも参加しているミュージシャン。彼がスタジオにやって来たこと自体で、KYON(現・Dr.kyOn)なんかは感動してるわけ。自分がすごく好きだった人と一緒にセッション出来る喜びみたいなものが、録音越しに伝わってくるんです」(名村/以下同)

中でもボ・ディドリーとのレコーディング・セッションは、バンドにとっても大きな価値のあるものだった。

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「ボ・ディドリーは、どんとが崇拝してたから、ボ・ディドリーがそこにいるってだけでテンションが全然違う。そういうのって、音楽にとっては大きいんだよね。ニューオーリンズっていう街自体もそうだし、スタジオにしてもやっぱりニューオーリンズ音楽の歴史が染み付いてる。そういう場所で、しかもレジェンダリーなミュージシャンたちと一緒に演奏したことから得るものは大きくて。その影響が一番顕著に表れたのは、実はレコーディングそのものよりも、帰国直後にやった日比谷野音のワンマンだった。それ以前もボ・ガンボスのライブは面白かったんだけど、ニューオーリンズから帰ってきた直後の野音は特別だった。まず演奏のテンポ感からして違う。ニューオーリンズで、本場のグルーヴを受け継いできた表れだったんだろうと思うね」

とくにボ・ガンボスというバンドの音楽性が、リズム&ブルースやファンクなど、ニューオーリンズという土地で育まれた音楽と直結したことも深く関係しているのだろう。彼の地で受け継いだグルーヴは、記念すべきファースト・アルバムにおいてもしっかりと反映される……はずだった。が、そう上手くことが運ばないのも、またバンドというものなのだろう。ニューオーリンズ到着直後にドラマーの岡地明(現・岡地曙裕)の腰痛が激化、タムを回して叩くこともままらない状態だっという。また、現地のスタジオのエンジニアが、手配したデジタル・マルチテープ・レコーダーの扱いに慣れておらず作業が大きく手間取ったりと、アクシデントが続いた。その後のマイアミでのミックスダウンでも、担当したエンジニアと、制作スタッフ側、またバンド・メンバーとの方向性にも開きがあって、最終的な着地点を見い出すのにも苦心したという。

「どんとの強い希望で、ミックスはアフリカン系の黒人エンジニアでいきたいっていうことだったけど、当時はその条件に合う人がなかなかいなかった。で、ポール・マッカートニーなんかともやってるエンジニアをイギリスから呼んでミックスダウンの作業に入ったものの、彼がDJ寄りのエンジニアということもあって、ルーツ系の音よりもダンス・ミュージック系を得意としてたんだよね。もちろん事前に把握していたことなんだけど、それでもすすめていくうちに想定していたイメージと違ってきて。彼の個性とバンド・サウンドの接点を探す作業が必要になってきた。そういう諸事情があって、ファーストが出来てしばらくしてから『もう一回ミックスし直せたらな』って、ずっと思っていたんです」

ボ・ガンボスというバンドの特異な部分ではあるが、デビュー前にライブバンドとしてかなりの動員を集め、その実力が知れ渡っていたこともあってか、「ボ・ガンボスは、CDよりもライブがいい」と揶揄されることもあった。

「ファースト・アルバムを出した後には、たしかにそういうことも言われたし、そこにはいろいろ思うところはあった。そこで、この25周年っていうタイミングで、あらためてミックスした音源を出したいって提案したんです」

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そうした経緯から生まれた2つの『BO & GUMBO』──1989年のオリジナル音源から最新リマスターと、〈2014 MIX〉を聴き比べると、まったく別物といっていいほどに違いが表れている。

「ニューオーリンズでレコーディングした時の音に、あまり脚色せず、華は感じさせつつもアーシーなイメージを強調するような方向性で、今回の2014 MIXは仕上げたつもりです。そのほうが、どんとの魅力も活きるんじゃないかなって思ってね。ただ、当時発表されたものがすべてで、それを後出しでどうこうするのは邪道だっていう考え方もある。俺自身としても、それはそれでわかるんです。たとえばビートルズの『Let It Be… Naked』を聴いたところで、だから何なんだって思う人もいるわけだしね。だけど、ボ・ガンボスが活動した、80年代終わりから90年代初頭にかけては録音の技術もアナログからデジタルへ変わっていく過渡期でもあって。そこにうまく乗れた人たちもいるし、なかなか合わせられなかった人たちもいる……そこは難しいところなんですけどね」

随所にサウンド処理が施された1989年盤は、ロックもファンクもダンス・ミュージックも混沌と入り混じった80年代末期という時代を音像としても表現したサウンドだったように思う。一方、2014 MIX版は、ボ・ガンボスのメンバー個々のプレイや、音楽的なバックグラウンドを生々しく浮き上がらせたように感じる。ライブバンドとして定評のあったサウンドの熱さやグルーヴは残しつつも、彼ら独自の〈ガンボ〉なミクスチャー感覚を構成するエッセンスの数々が、クリアに際立っているのが2014 MIX版じゃないか、という印象を持った。4人のバラバラな個性が綺麗に溶け合うのではなく、ぶつかりあい、つながりあいながら、大きなグルーヴを生んでいく。それは、ニューオーリンズの街をパレードする、セカンドラインの複雑に絡みあうリズムのようでもある。

「たしかに、KYONと岡地くんと俺は同じ年で、どんとと永井くんが4つか5つ下ぐらいだったのかな。KYONや岡地くんの世代は70年代中期、リトル・フィートのような土臭いロックがど真ん中だったけど、どんとや永井くんは完全にニューウェーブ世代なんだよね。俺らの世代でファンクというと、完全にファンカデリックになるけど、どんとと永井くんからすればポップ・グループになるわけで。たった4、5歳の年齢差だけど、持ち合わせてる感覚って実はすごく違うんだよね。そのギャップから生まれ出るサウンドこそが、ボ・ガンボスの面白さだったと思う。ただ、それがバンドの良さでもあると同時に、最後まで埋まらない部分でもあったんだけどね」

ボ・ガンボス『BO GUMBOS 1989』

ボ・ガンボス
『BO GUMBOS 1989』

(ソニー・ミュージックダイレクト)


*『BO GUMBOS 1989』は完全生産限定盤です。
 詳細は 『BO GUMBOS 1989』特設サイト を参照ください。

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おまけ
ボ・ガンボス「魚ごっこ」 at NewOrleans Jazz&Heritage Fes.1989
レコーディングのため訪れていたニューオーリンズで開催されていた、大規模なルーツ音楽フェスにボ・ガンボスが出演。このフェスでは、アラン・トゥーサンともセッションを果たした。

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