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「イパネマの娘」の美しい詩を守るためにアメリカで戦ったアントニ・カルロス・ジョビン

2016.07.29

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世界でもっともカバーされている曲はビートルズの「イエスタデイ」だといわれているが、その次くらいにカバーされているといわれているのが「イパネマの娘」だ。

この曲を作曲したアントニオ・カルロス・ジョビン(愛称トム・ジョビン)、そして作詞したヴィニシウス・ヂ・モライスは、歌ったジョアン・ジルベルトとともにボサノヴァを発明した立役者である。

1962年にカーネギーホールで開かれた有名なボサノヴァ・コンサートに出演した時、トム・ジョビンはそのままニューヨークに残ることにした。
それまでに自分が書いたボサノヴァの作品が、不本意な英訳で歌われていかたらだ。

あっちの連中は僕の曲にあまりにも馬鹿げた歌詞ばかりつけたがっていた。
コーヒーだとかバナナだとか椰子の実だとかについて歌う歌詞をね。
しまいには泣けてきたよ。
だから僕は、自分の作品を、ブラジル的でオリジナルなまま残していくために戦うことにしたんだ。


しかしニューヨークに滞在する日々の中で、ジョビンのお金はあっという間に底を尽きてしまう。
それというのもジョビンにはその頃、正当な著作権料がまったく支払われていないかったからだ。

当時のブラジル著作権徴収協会では、ブラジルがアメリカに支払う著作権料(ブラジル国内で流れたアメリカの楽曲の分)と、反対にアメリカがブラジルに支払う著作権料とを相殺させていた。
だからジョビンが受け取るべきアメリカからの著作権料は、ブラジルがアメリカに支払う著作権料との相殺で、本人に分配される前になくなった。

そこでジョビンは自身の作品の出版権をアメリカのレコード会社に売り渡すことで、当座の金銭を工面した。

1963年に「イパネマの娘」の英語ヴァージョンを作るにあたって、トム・ジョビンは作詞家のノーマン・ギンベルとパートナーを組むことになった。
ノーマンはのちにロバータ・フラックの「やさしく歌って」などを手がけた作詞家だ。

アメリカ人に発音しにくいという理由で、当初は「イパネマ」を「アイパニーナ」と呼んだ。
そのうちに「アイパーナ」と呼ぶ者も現れたのだが、「アイパーナ」はアメリカでは有名な歯磨き粉の商品名だった。

ブラジル音楽界の最高の詩人、ヴィニシウス・ジ・モラウスが描いた美しい女性への想いを、”歯磨き粉の娘”にされてはたまらない。

そこでジョビンはジョアン・ジルベルトの妻、英語が上手だったアストラッド・ジルベルトを呼んで、自分の書いた英語詞でデモ・テープを作った。
それをノーマンに聴かせて「イパネマ」の箇所をどう歌えばいいか、そして英語をどうボサノヴァに乗せて歌えばいいのかを説明した。

こうしてジョビンは納得のいく「イパネマの娘」の英語バージョンを完成させたのだった。

背の高くて小麦色の若くて素敵な
イパネマの女の子が歩いている
彼女が通り過ぎると
皆がその美しさにため息をもらす


1963年の3月、「イパネマの娘」の英語バージョンは、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの作品をレコーディングしているときに録られた。
アストラッドが英語で歌うことについて、ジョアンもスタンも不満を抱いていた。
だがジョアンは何とかして、まともな英語バージョンを録音したかった。

そのときプロデューサーのクリード・テイラーも、アルバムをヒットさせる上で英語バージョンが必要不可欠と考えた。



「イパネマの娘」はオリジナルだと5分以上もあり、ラジオで流すには尺が長すぎたので、プロデューサーのクリード・テイラーはジョアン・ジルベルトの歌うポルトガル語の1番をカットした。

アストラッドの歌とスタンの吹くサックスもそれぞれ尺を詰めて、2分48秒にまで縮めたシングル・バージョンを作成する。



アルバム『ゲッツ/ジルベルト』がリリースされたのは翌1964年4月のことで、アストラッドが歌った英語詞の「イパネマの娘」は、6月にシングル盤がリリースされると200万枚を超えるセールスを記録した。

トム・ジョビンは自身の著作権を管理するための会社、コルコヴァード・ミュージック出版社を1964年に設立している。

こうしてジョビンは自身の作品を守るとともに、音楽活動に集中できる環境を築いていくのだった。


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