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ビートルズ来日公演~観客席の少年少女たちには確かに届いていた音楽

2023.06.29

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ファン待望のビートルズ来日公演の初日。
コンサートは1966年6月30日午後7時35分に始まり、8時5分に終了した。
ビートルズはアンコールもなく、楽屋口に用意された車で武道館を後にした。 

終演後、観客席に残った女の子たちはみんな泣いていた。
少年たちはみんな茫然としていた。
全11曲、わずか30分のコンサートの演奏曲目は以下の通りだった。

①Rock And Roll Music
②She’s A Woman
③If I Needed Someone
④Day Tripper
⑤Baby’s In Black
⑥I Feel Fine
⑦Yesterday
⑧I Wanna Be Your Man
⑨Nowhere Man
⑩Paperback Writer
⑪I’m Down

ビートルズの武道館公演は初日から3日間連続で、合計5回が行われた。
そして7月1日の昼公演がその夜の9時から『ザ・ビートルズ日本公演』という特別番組で、日本テレビのネット中継で放映されている。

視聴率は59.8%を記録した。
国民的な関心を寄せられたエポックメイキングな出来事にふさわしい数字だった。
番組の前半には、来日時のドキュメント映像が流された。

羽田空港に到着したビートルズの車がパトカーに先導されて、朝焼けの首都高速をひた走る。
そこに突然、ジョン・レノンの歌声で「ミスター・ムーンライト」が流れるシーンは、当時のテレビを見たファンの間では語り草となっている。

初日の武道館で関係者用のゲスト席に座っていた著名人は、三島由紀夫、加山雄三、二谷英明、中村八大、大島渚、司葉子、安倍寧、加賀まりこ、田宮二郎、川内康範、大仏次郎などの作家や俳優、映画監督たちだった。

終演後に新聞や雑誌に出た著名人のコメントをいくつか紹介したい。

北杜夫(作家)
「ビートルズが現れるや、悲鳴に似た絶叫が館内を満たした。それは鼓膜をつんざくばかりの鋭い騒音で、私はいかなる精神病院の中でも、このような声を聞いたことがない 」
(東京中日新聞)

三島由紀夫(作家)
「私にはビートルズのよさもわるさも何もわからない。しかも歌いだすやいなや、キャーキャーというさわぎで、歌もろくすっぽきこえない。どうにかきこえたのは、イエスタデーがどうしたとかこうしたとかいう一曲だけ」(週刊女性自身)

大島渚(映画監督)
「映画でもあんなだからと覚悟はしていたがとにかくすごい。しかし、熱狂するファンの気持はわかる」


騒ぎ過ぎる観客の声が大きくて、ビートルズの演奏が聴こえなかったという記事は、当時ほとんどの新聞や雑誌に書かれた。
なかには「ビートルズの公演には、“音楽”はひとかけらもなかった。かすかに聞こえるエレキと歌は拡声装置がひどすぎたとはいえそれはもう、音楽でもなんでもなかった」(サンケイスポーツ)とコメントした音楽評論家もいた。
それはそれで正しい受けとめ方だった。

ところが観客だった少年少女たちが大人にニルにしたがって、音楽はしっかりきこえていたという反論を証言し始めた。
当時は15歳の中学生だった松村雄策が、自著にこう記している。

観客が騒ぎ過ぎてビートルズの演奏が聴こえなかったと、新聞や雑誌は書いた。これが不思議で、しょうがなかった。僕にはしっかりと聴こえた。リンゴが「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」で音を外しっ放しだったのも、「恋をするなら」のコーラスがハモらなかったのも聴こえた。ビートルズを見に行って聴こえなかったという人には、逢ったことがない。
(松村雄策著「ウィズ・ザ・ビートルズ」小学館)


RCサクセションのメンバーとなる仲井戸麗市は、北西スタンド側の上の方の席にいたが、リンゴ・スターの「アイ・フィール・ファイン」でのバスドラの踏み方を、今でも鮮明に覚えているという。
2013年のポール・マッカトニー来日に際して、日刊スポーツの取材で下記のように話していたのである。

『歓声で演奏が聞こえなかった』とあるけど、それは違う。俺たちビートルズ少年少女は、全曲知ってたから冒頭でジャーンとギターを弾かれれば一緒に歌えた。北西3階の上からでも、ちゃんと聞こえてた。1つの社会現象として見に来た大人たちは、聞こえなかったんじゃなく、聞こうとしなかったんだ。
(日刊スポーツ2013年11月23日)


当時の機材などは現在の音響システムに比べたら話にならないもので、十分な音量は出ていなかった。
そして叫び声や声援がうるさかったのも事実だろう。

だからファンにはビートルズの演奏がはっきりと聴こえていたのに、ファン以外の人間にはさっぱり聞こえなかったのである。

レコードを熱心に聞いてファンになった、全目と耳と心でで懸命に音楽を聴こうとしていた。
だから彼らには音楽が伝わっていたし、メッセージさえも共有されたのだろう。
その辺のニュアンスについては、沢田研二の言葉が上手に伝えている。

1966年、ビートルズの来日公演を東京・日本武道館へ見に行きました。タイガースの前身「ファニーズ」のファンクラブの人が「絶対見た方がいいよ」とチケットをくれたんです。
もう、びっくりしましたよ。周りの女の子の歓声がすごくて音が聞こえないんだから。うるさいから耳をふさぐとさらに音が聞こえない。何なの、これ。なんでこうなれるのっていう感じ。ほとんど「ポール!」「ジョン!」という声ばっかりだったから、僕は「ジョージ!」って叫びましたけどね。
1曲目の「ロック・アンド・ロール・ミュージック」はテンポが遅い。レコードよりずっと遅いけどかっこよかった。ものすごいものを見たという感じ。こんなものにはなれないとしか思えなかった。
(アサヒ・コム)


沢田研二はこのとき、「でもビートルズだってデビュー当初、専門家や同業者はだれも成功するとは思っていなかった。だから、僕らもまったく可能性がないわけじゃない」とも思ったという。





TAP the POPメンバーも協力する最強の昭和歌謡コラム『オトナの歌謡曲』はこちらから。





(注・本コラムは2016年7月1日に公開されました)

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