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ビートルズ来日公演から50年、約束を守って今年も日本にやってくるリンゴ・スター

2016.07.07

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1966年6月29日早朝、羽田空港に降り立ったビートルズの一行はパトカーに先導されてヒルトン・ホテルに到着後、ホテルと武道館の往復以外は警官隊によって厳重に警戒されたホテルの部屋に缶詰め状態で過ごすことになった。

このときの警備は前例がないほど厳重で、警視庁の発表ではのべ8,370人もの警官隊が動員された。

会場となった武道館でもアリーナには観客を入れず、1階席から飛び降りるファンを想定して、多くの警察官が警備にあたった。

「今度の来日で、日本が嫌いになったりしないでね。日本中のあなたたちのファンは、本当に心の底からそれを心配してると思うの。必ずまた来てくれると約束してちょうだい」


音楽誌「ミュージック・ライフ」の編集長だった星加ルミ子がそう頼んだのは、過剰なまでの警備で自由を奪われていたメンバーへの心遣いだった。
それに応えてビートルズのメンバーは、一人ひとりが「また日本に来るよ」と約束した。

ジョンは「今度来る時は、おまわりさんにたのんで、出してもらうことにするよ」と言った。
そして、それらの約束は守られた。

その年11月にロンドンで出会った日本人のオノ・ヨーコと1969年に結婚したジョンは、たびたびプライベートで日本にやって来くるようになった。

1972年に3度めの訪日した際に、ジョンは東京の古美術店「羽黒洞」でたくさんの買いものをしている。
経営者だった木村東介は、ジョンが来店したときの思い出をこう記していた。

最初私はねえ、外国の人に精魂込めて集めたものを安易に渡したくないと思っておったんですがねえ。
だんだんと気持ちが変わってきて、こんな心の美しい人にはほんとうにいいものを見せてあげたいと思うようになりましたねえ。
この商売を始めて五○年になりますが、説明の要らなかったお客というのはジョンが初めてでした。
<略>
日本人だってわかりゃしないようなものを、ちゃんと知ってた。
博物館の人間でもわからないものをですよ、ちゃんと見抜いてた。
まあ、たいした鑑識ですよ。
(『宝島1981年2月臨時増刊号 JOHN ONO LENNON』JICC出版局刊)
 


ポール・マッカトニーは1975年に日本公演を計画したが、訪日直前に法務省によって薬物犯罪歴を理由にビザが取り消されて中止になった。

その後、1980年1月16日に日本公演のためウイングスとともに来日したときは、成田空港で大麻取締法違反(不法所持)で現行犯逮捕されてしまった。
〈参照コラム・留置番号22番、ポール・マッカートニーが警視庁の雑居房で歌った「イエスタデイ」〉

しかし1990年3月、ビートルズ来日から24年ぶりに日本公演を実現させると、その後は何度もソロ公演を成功させている。

ジョージ・ハリスンは1991年12月、25年ぶりの来日公演をエリック・クラプトンとのジョイント・ツアーという形でを行った。

さて、ビートルズのメンバーで最初に日本武道館に戻ってきたのは、映画の世界で活躍していたリンゴ・スターだった。

リンゴは1989年に「オール・スター・バンド」を結成し、不定期だが継続してツアー活動を行うようになった。
そしてその年の秋、23年ぶりに日本武道館で公演を行ったのだ。

「オール・スター・バンド」のメンバーは流動的で、イーグルスのジョー・ウォルシュやEストリート・バンドのクラレンス・クレモンズ、ニルス・ロフグレン、クリームのジャック・ブルース、リチャード・マークス、ピーター・フランプトン、ビリー・プレストン、シーラ・Eなど、オールスターにふさわしいミュージシャンやアーティストが参加してきた。

そして今年、2016年の秋にもTOTOのスティーヴ・ルカサーや、サンタナで活躍するキーボードのグレッグ・ローリー、トッド・ラングレンなどと一緒にやってくる。

ところでビートルズの来日公演でリンゴが唯一、リード・ヴォーカルをとった「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン( I WANNA BE YOUR MAN )」を、リンゴはソロになってからのライヴでも十八番として歌っている。

The Beatles – I Wanna Be Your Man



〈参照 ローリング・ストーンズがビートルズから曲を提供してもらった「彼氏になりたい」





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