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追悼・レオン・ラッセル~日本でもヒットした「タイトロープ」と桑田佳祐に受け継がれたロック

2016.11.17

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偉大なるミュージシャンが亡くなっても、その精神や楽曲が次の世代に受け継がれていくことで、音楽は生き続けることができる。
それがほんとうの意味で、追悼ということにもなるのだろう。

1942年に南部のオクラホマ州に生まれたレオン・ラッセルは10代の半ばからロスアンゼルスに出て、セッション・ギタリストとしてその長いキャリアをスタートさせた。

60年代の半ばにはザ・ベンチャーズの「朝日のあたる家」で、キーボードを演奏している。
また「十番街の殺人」ではサックスを吹き、それをレズリー・スピーカーを通して鳴らしたとも伝えられる。



やがてジェリー・リー・ルイスのバックやローリング・ストーンズのキーボード、フィル・スペクターのプロデュース作品などで頭角を現すと、イギリスのジョー・コッカーが1970年に発表した2枚組のライブ・アルバム『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』で、プロデューサーとして大きな成功を収めた。

さらには1972年にジョージ・ハリスンが開いた歴史に残るチャリティ・イベント、バングラディシュ・コンサートでも抜群のパフォーマンスを見せて、ロックファンの間でも名声を得た。
そしてその年に発表したセカンド・アルバムの『カーニー(Carney)』から、8月に第1弾シングルとして「タイト・ロープ」がリリースされた。

「タイト・ロープ」は全米チャートで11位まで上昇、カナダでも5位になり、レオンにとっては最大のヒット曲となった。
またB面に収められていた「マスカレード( This Masquerade)」も、4年後の1976年にジョージ・ベンソンのカヴァーで全米トップ10に入るヒットを記録する。

アルバム『カーニー』が全米チャートで2位、カナダでは4位となったことで、裏方として有名だったレオンの名は多くの人たちに知られるようになった。
南部スタイルの泥臭いスワンプ・ロックがレオンの音楽の特徴と言われて、事実その通りだったが「タイト・ロープ」や「マスカレード」、カーペンターズがカヴァーしてヒットさせた「ソング・フォー・ユー」は、どれもメロディを主体として聴ける名曲だ。

「タイト・ロープ」 レオン・ラッセル


I’m up on the tightwire
one side’s ice and one is fire
its a circus game with you and me

I’m up on the tightrope
one side’s hate and one is hope
but the tophat on my head is all you see

俺はぴんと張られたワイヤーの上
一方は氷 もう一方は炎
お前と俺とで演じるサーカス・ゲーム

俺はぴんと張られたワイヤーの上
一方は憎しみ もう一方は希望
だがお前に見えるのは俺がかぶる山高帽


日本でもヒットした「タイト・ロープ」は、故・八木誠さんの労作「洋楽ヒットチャート大事典」(小学館)によれば、1972年の年間TOP100で22位にランクされている。
また同年12月3日付のTBSラジオ『ポップス・べストテン』では1位になっていた。

01.タイト・ロープ / レオン・ラッセル
02.アローン・アゲイン / ギルバート・オサリバン
03.愛の休日 / ミッシェル・ポルナレフ
04.チルドレン・オブ・ザ・リヴォリューション / T.レックス
05.ギター・マン / ブレッド
06.裏切者のテーマ / オージェイズ
07.トップ・オブ・ザ・ワールド / カーペンターズ
08.シュガー・ミー / リンジー・ディ・ポール
09.ブラック・アンド・ホワイト / スリー・ドッグ・ナイト
10.ベンのテーマ / マイケル・ジャクソン

その頃に流行ったヒット曲のなかではかなりシブい曲だったが、多くのファンを獲得したのだ。

当時まだ高校生だった桑田佳祐は、後に自分のラジオ番組で世界で影響受けたナンバー5のひとつとして、「タイト・ロープ」とレオン・ラッセルを紹介したことがある。
確かにアクの強いヴォーカルには、明らかにレオンの影響がうかがえる。
それを日本語でやってのけるのが、桑田の特異な才能なのだ。

音楽評論家でプロデューサーの高橋健太郎は、1977年の春にアマチュアだった桑田を知り、その才能に気づいてライブに通うようになったという。

僕は桑田佳佑と同じ1956年生まれである。ゆえにサザンの和洋折衷な音楽性の“洋楽”サイドについては、経験を共有している部分が多い。サザンのことを知ったのは1977年の春頃、当時出入りしていたヤマハ渋谷店のスタジオで、ほどなく1階のヤングステージで演奏する彼らを観てから、ライブに足しげく通うようになった。Little Featやレオン・ラッセルなどに影響を受けた同世代のロックバンドが、とんでもなくオリジナルな音楽を奏で始めていることに、僕は独りで熱狂していた。


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桑田は著書「ブルー・ノート・スケール」(ロッキン・オン)で、自分が考えている「ロック」について、レオンも引き合いに出してこう語っている。

ボブ・ディラン、クラプトンっていうのは俺にとってロックだから。ビートルズもレオン・ラッセルもリトル・フィートも、ザ・バンドもね。あのフィーリングっていうのは染みついているからね、俺の中に。


1991年に桑田が開催した企画ライヴ『ACOUSTIC REVOLUTION Live at Nissin Station 1991.3.26』の中で、「私が最も尊敬するミュージシャンであり、作曲家です」と語って披露したのは「タイト・ロープ」だった。

ロックの影響を受けてオリジナルな音楽を奏で始めた桑田は、やがて日本のロックの歴史に新しいページを刻んでいく。
その根底にはレオン・ラッセルの音楽が、ずっと生き続けていたのである。

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