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『鉄腕アトム』②~ソノシートを効果的に使ったビートルズと、朝日ソノラマの独占販売で成功した「鉄腕アトム」

2017.01.13

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ビートルズは1963年から1969年までの7年間、オフィシャル・ファン・クラブ向けにクリスマスのメッセージ・レコードをソノシートで頒布していた。

1958年に商品化されたフォノシート(Phonosheet)は塩化ビニール製で、一般のレコードプレイヤーで聴くことができるフィルム状のレコードである。
音質はもちろんレコードとは比べものにならない貧相なものだったが、製造コストが安くて軽くて扱いやすいので、日本では雑誌の付録や子供用のグッズとして広まった。
また郵送などに便利だったので、レコードの代用品のような廉価版の通販商品としても発達した。

ファンクラブの会報と同様に、ビートルズのソノシートも郵送で送られてきた。
そこにはメンバーからのメッセージや、即興で行った寸劇と短い歌などが入っていた。

1963ビートルズ ソノシート

これを作ったのは広報担当のトニー・バーロウで、ファンクラブに入るほど熱心なビートルズ・ファンに、メンバーのことを身近に感じてもらえるようにという発想だった。
マネージャーのブライアン・エプスタインに企画を話すと、経費がかかりすぎることから反対にあった。
しかしメンバーに相談すると気に入られたので、10月17日のレコーディング後の時間を使って録音することにした。

偶然にもその日はビートルズにとって会心の曲、世界的なヒットとなる「抱きしめたい」が録音された歴史的な1日となった。
高揚した気持ちのまま、メンバーはソノシート用のスピーチと、風変わりな「クリスマス・キャロル」を録音した。

トニーは回想録でこう述べている。

(寸劇)のシナリオを書きはじめたぼくの頭には、ビートルズがアドリブでジョークを入れ、内容を膨らませてくれるだろうという期待があった。そしてぼくのよみは正しく、彼らは最高のパフォーマンスを見せてくれた。クリスマス・メッセージそのものは、レコードを買い、ファンクラブに入会し、コンサートへ来てくれたファンへの感謝の言葉だったが、それ以外の部分ではビートルズはソノシートに入りきらないほどのジョークやギャグを披露してくれた。


ビートルズのメンバーがこの企画を気に入ったことから、ソノシートのクリスマス・メッセージは毎年恒例になっていく。



1964年に発行された第2弾「Another Beatles Christmas Record」は、ファンクラブからのニュースレターと一緒に届けられたという。
レコードとは違って身近な感じのメンバーたちの会話やジョーク、直に訴えかけるメッセージが聴けるという音の面での楽しさに加えて、ビジュアルや読み物という要素が入ったソノシートの魅力を上手に使って、ビートルズはファンを喜ばせてくれたのである。

ビートルズ クリスマス1 ビートルズ クリスマス2 ビートルズ クリスマス3

日本でソノシートが大ヒットしたのは1963年の暮れで、ビートルズのファンに最初のソノシートが届いたのとほぼ同じ時期のことだ。

人気テレビ漫画『鉄腕アトム』の主題歌が、朝日新聞の子会社である朝日ソノプレス社(後に朝日ソノラマに社名変更)から11月から発売になり、増刷に増刷を重ねていたのだ。

朝日ソノラマ」鉄腕アトム

最初にソノシート付きの雑誌『月刊朝日ソノラマ』が、「音の出る雑誌」という触れ込みで発売されたのは1959年12月のことだった。

創刊号の内容はこうだった。

1.ソノ・クロノクル(音で残す1959年) 2.ソノ・ルポルタージュ(人・声・世相) 3.スクリーン・ハイライト(歌うトニー・ザイラー) 4.クリスマス・ムード(地に平和・人には善意) 5.旅へのいざない(裕ちゃんとパリへ) 6.ソノ・ギフト(お正月のうた) 

朝日ソノラマ創刊号

しかし従来のニュースや雑誌記事を中心にして作られていたために、「朝日ソノラマ」の売り上げは低迷を続けた。

そこで次第にソノシートによる英会話や音楽を打ち出した、オムニバス企画へとシフトしていかざるを得なくなった。

朝日ソノラマ7月号

朝日ソノプレス社の新入社員だった橋本一郎はある日、収録のためのスタジオでミュージシャンたちと雑談中に、漫画の赤胴鈴之助がラジオで放送されて人気番組となり、主題歌のレコードが売れに売れまくったというひと昔前の話を耳にした。

そういえば子どもたちは最近、放映が始まったばかりの『鉄腕アトム』の主題歌をさかんにうたっているが、まだレコードになっていない。
あれをソノシートにしたら大ヒットするに違いないと、つま先から頭のてっぺんまで電流が突き抜けるような感覚が走ったというか、閃いたのです。




橋本はすぐに虫プロを訪ねて、主題歌の発売について交渉を始めた。
すると虫プロの専務がソノシートというものが、どのような業種になるかと確認をしてきた。

というのも虫プロは『鉄腕アトム』のライセンサーとして、一業種一社を原則にして商品化権を与えていたからだった。
ライセンス契約した会社は「虫プロ友の会」となる決まりで、橋本が交渉していた秋の時点ではすでに、会員と準会員を含めると約50社あった。

専務の「どんな業種になりますか?」という問いに、橋本は本文が14ページの冊子はついているがレコードと同じく「音盤」だと答えた。

ソノシートは「音の出る雑誌」というのが売り文句で、レコード店での扱いも少しはあったが、売上の9割は書店流通だった。
だから音盤が付属した雑誌というのが実態だった。

しかしこの時に橋本が「音盤」として申告したことが、結果的に朝日ソノラマによる「鉄腕アトム」の独占販売を可能にした。
もしも「音の出る雑誌」であったならば、その後の主題歌の売れ行きを見て、既存のレコード各社も商品化に乗り出して来たに違いない。

今から考えると不思議なことに思えるのだが、橋本が虫プロを訪れたという9月までレコード会社とその関係者は、誰一人として「鉄腕アトム」の商品化を思いつかなかった。
それは当時のレコード会社がテレビの漫画の主題歌やCM音楽などを、流行歌よりも格下のものという意識で見下していたからだった。

ところが11月15日に発売された「鉄腕アトム」は増刷を重ねても追いつかない売れ行きで、累計では120万部を突破したとも言われる。
音楽を聴くだけでなく見て楽しめるソノシートは、漫画の主題歌には相性のいいメディアだった。

その頃から日本のテレビでは、空前の国産漫画ブームが始まろうとしていた。
アトムのライバルとなる『鉄人28号』が10月20日、『エイトマン』が11月7日、『狼少年ケン』が11月25日と立て続けに放送が始まった。

最初の大ヒットをものにした橋本は、それらの漫画の主題歌も朝日ソノラマで独占しようと考えをめぐらせていく。


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