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【スペシャルインタビュー】小林幸子〜ニコ動で「歌ってみた」から見えた、新しい景色

2015.12.26

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*このインタビュー記事は2014年1月1日の午前0時に公開したものです。

国民的歌手・小林幸子にとって、歌手活動50周年となる2013年は挑戦の年だった。
50周年シングルやツアーなど、演歌歌手としての活動と並行して、
ニコニコ超パーティ、ニコニコ町会議など〈ニコ動〉の世界と積極的に交流。
〈ラスボス〉という呼び名がつくほど、ネット世代にとっても親しみやすい存在となった。
また、洋楽ポップスやシャンソンなど、これまで培った様々な音楽にアプローチする試みにも挑んだ。
そして大晦日のカウントダウンライブ。
360度に設置されたLEDによる最新の映像演出でも話題を呼んだこの企画を成功させた彼女は、
2014年にどこへ向かおうとしているのか。
カウントダウンライブの音楽プロデュースも手がけた、佐藤剛が訊いた。


聞き手/佐藤 剛(作家・音楽プロデューサー)
構成・文/TAP the POP

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──まずは2013年を振り返っていかがですか?

新しいことへの試みがたくさんあった年でした。新しい人たちとの出会いってすごく刺激があるじゃないですか。それが新鮮だったと同時に、あっという間に1年が終わった気がします。新しいことをはじめるのって、期待と同時にものすごく大変なんですけど、残した結果を振り返ってみると、こんなことやってたんだっていう発見があって、いい結果は残せたかなと思います。

──去年のカウントダウンでニコニコ動画(以下ニコ動)にVTR出演したのを皮切りに、春にニコニコ超パーティ、夏にニコニコ町会議と出演されました。同世代の歌手とは違う動きで秋には動画を投稿して瞬く間に140万回再生を記録しました。50周年シングルのリリースやツアーと同時進行で、どんどん加速していきました。ニコ動との出会いはやはり大きかったと思うのですが。

それが一番大きかったし、刺激的でしたね。いわゆる演歌の世界では、自分のしていることがどう展開していくかっていうのはある程度分かるんですが、まったく知らない世界で、初めてのことだらけですごく面白かったです。ニコ動とかバーチャルの世界に精通している人なら展開も見えるんでしょうけど、私にはまるっきり見えませんでしたから。お客さんも全然違うから最初は戸惑いましたけど、一方でそれを面白がっている小林幸子が自分の中にいたっていうのが良かったですね。「何でそこまでするんだ」っていう人もたくさんいましたけど、今は一緒になって楽しんでくれています。そういう、何だか分からないけど面白いっていうのが大事な気がします。

──そうして出会った人と人の点が、いつしか線になってつながっていくことができたのは、心の底でわかりあえるものが共通するからだと思うんです。

ニコ動の人たちの発想とかって、本当に今の時代を生きてる人たちの発想で、すごく楽しいし、刺激になります。そこで一緒に楽しんでいる私が好きです。私も同じ時代を生きているんだから、今を新しく生きている人たちと何かをしたいっていう気持ちがあったんですけど、そういうチャンスって実際はなかなかないじゃないですか。だからもし出会えたなら、やらない手はないですよね。私と同じくらいの年齢の人だと、若い人たちの世界に入っていくのって勇気がいるというか、ちょっと躊躇するそうなんですけど、何の躊躇もなかった私は何なんでしょう(笑)。

──ニコ動を運営するドワンゴの川上会長の言葉に「企画を信じるのではなくて、その企画をやりたいって言っている人間を信じて一緒にやるかを決めるんだ」というのがあります。一方で幸子さんにも、単に新しいことをやりたいだけではなくて、もっと世の中を明るくしたいっていう想いがありますよね。それらが結びついて、いい結果をもたらしたんじゃないかという気がします。

ありがとうございます。そう言っていただけるのは嬉しいですね。企画の内容で判断するんじゃなくて、やってみたいという人たちの想いですよね。これがあるから、1+1=2というありきたりの答えにとどまらず、もっと大きな結果につながっていくということですよね。

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──「ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた」を歌って投稿した時には、最初はとまどいはありましたよね。

あれは私、元の曲を作ったのがヒャダインさんだって知らずに、「面白いなあ。よくもまあこんな曲を……」って。歌ってみたに投稿しようというアイデアに乗って、候補の曲を聴いて中で「これって面白い」と言ったんです。でもその時は一般の人が作った曲だと思ってました。
歌詞の中の「最強のヒマつぶし」ってところで、ちょっと泣きそうになって、ほんとに涙が出てきました。ひきこもりがちだったり、ひとりぼっちになりがちだったりする……。ニコ動に投稿したりニコ動を観たりしてる子たちって、こういう状況なのかなって気付いたら、今の子供たちが置かれた社会が歌われているとわかりました。それで「これ歌いたいな」って思ったんですよ。でも歌ってみたら、メチャメチャ難しい(笑)。音頭だったら1拍目と3拍目にアクセントがつくはずで、三味線や太鼓はそう演奏しているのに、歌詞の言葉のノリとは合わないというか逆で、2拍目と4拍目にしないとだめなんです。リズムがそれぞれに違っていて最初はビートがつかめず、あれっと思ったんですが自分にできないことがあるのは嫌で、なんとしても歌おういうふうに気持ちは燃え上がりました。いわゆる4つ打ちっていうダンスビートの解釈をすればいいとわかったら、すぐに歌えました。あとから「ヒャダインさんの曲ですよ」って聞いて、あっ、なるほどな、って。

──名古屋の〈ニコニコ町会議〉に出演したのもすごかったですね。

声をかけていただいて、面白そうだけどどんなもんなのかなあとも思いつつ出たんですが、喜んでもらえてやはり面白かった。名古屋では進行役の方に「〈ラスボス〉って呼んでいいですか?」って聞かれたので、「全然いいですよ」って言ったら、もう延々〈ラスボス〉コールが続いて、止まらなくなっちゃって。どう反応していいのかわからずにしたらしばらくして、「どうもありがとう」って言ったらようやく終わったの(笑)。すごく気持ちよかったですよ。来てる子たちが若くて、私という見世物を観ているように、私もその子たちを観てたんです。「最強のヒマつぶし」としてニコ動に来ている子たちの純粋さが、生で伝わってきました。私の歌にもしっかりと声援を送ってくれて、そういう子たちにも歌はちゃんと届いてるんだ、つながっていくんだっていわかったのはやっぱりうれしかったですね。

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──2013年の秋には「作詞家・岩谷時子を歌う」というテーマで、若いソノダバンドと一緒にこれまでのショーとはまったく違うライブをしましたね。

あれも楽しかったですねえ。今までは構成、演出がすべて計算され尽くされている中で、ずっとエンターテイメント目指してやってきたわけです。その中で毎回新しいことにトライしてきました。例えば私の歌のメドレーのつなぎの部分で、大好きなシュープリームスの曲「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」を挟み込んだりしてとか。
でも岩谷先生のライブで決まっていたのは、曲目と簡単な構成くらいで、曲もほとんどは初めて人前で歌うものばかり、どんなお客さんが来るのかも分からないという状況でした。ソノダバンドさんに用意していただいた元のアレンジはあるんですけど、スタジオで何回かリハーサルをやっているうちに、どんどん形が変わっていくといいますか、変えてしまうんです。アイディアが良ければ、リズムとかビートだって変えてしまう。あれはすごく衝撃的でした。今まではアレンジャーの方がいて、すでに作り上げられた音楽の中で、私がどう歌うかということしかやってこなかったものですから、こういう作り方もあるんだなあと。

──僕もその時はプロデューサーとして携わっていましたが、幸子さんの意見でサウンドが演歌や歌謡曲に寄るということではなく、逆にもっとロックンロールだったりシャンソンだったりといった洋楽的な方向に変化していったんですよね。

そうですね。これまで「演歌の歌い手・小林幸子」として歌を歌ってきましたが、私の中にはそういった音楽だけではなく、幼い頃からすごく好きだった洋楽とかもあって、そこで培ってきたものもあるんです。今まではあまりそれを外に出すことができなかったのですが、それを出せるという場所っていうのがずっと欲しかったんです。バンドのヴォーカルだから意見も言って、みんなでアイデアを出してサウンドを作っていく。挑戦といえば挑戦なんですけど、私にとっては自分の中にある沸々としたものが存分に出せたので、達成感というよりも爽快感のほうが大きかったです。

──ということは、本来の場所に戻ってきたような感覚もあるということですか?

今でも好きなんですよ。でも商売にはならないって言ったらヘンですけど、自分を支えてくれている人たちのことを考えると、演歌を歌うのが一番手堅いと言いますか。でも、こういうのは前からやりたかったんですよね。今まで開けなかった引き出しをちょっと開けて、初めて皆さんに聴いてもらったわけですけど、この引き出しをまた開けるためにも、大事にしなきゃと思いましたね。あのライブの日はスキップして帰りましたし(笑)。

──通常ライブの映像は、パッケージ収録したものでもテレビ中継されたものでも、いいところを編集して使います。でもニコニコ生放送は、編集もCMもなしでリアルタイムでずっと流れていましたから、貴重な体験だったのでは?

自分の歌ってる姿っていうのはテレビの収録でもそうですけど、だいたい俯瞰で見てわかるんです。でも打ち合わせもほとんどなくて、どこから録られているのかもよく分からないというのは、ちょっとスリリングで楽しかったですね。用意周到な小林幸子が全然用意できないわけです(笑)。だから、その中でどうやって演じていたのかっていうのは見ていて面白かったですね。それと、あの日ニコニコ生放送で流れていたものを見て、「ああ、なるほど、私ってこうやって歌ってるんだ」って関心したり面白がったりして見ながら、同時にリアルで見ている人の反応がわかって、こういうのってやっぱりいいなあって思いました。

──初めてのカウントダウン・ライブが終われば2014年、さらなる展開に期待している方も多いのではないかと思います。

そうですね。せっかく新しいジャンルの人たちと出会うことができたのですから、これからも仲良く続けていきたいです。絶対に会うことのなさそうなところの場や人たちとこうして出会えたのは、本当に縁があればこそだなあと思います。ちょっとしたきっかけが巡り巡って、〈ラスボス〉と呼ばれて(笑)、年末にこんな大きなイベントを一緒に作ることになるとは、夢にも思っていませんでした。

──それは幸子さんが潜在的に持っていた歌に対する一途な気持ちと、生まれ持った天性とシンガーとしての本分をずっと鍛え続けたことで、これだけの新しい展開になったのではないかと思います。

そう言っていただけると嬉しいですね。成功というにはまだ早いと思いますので、今年はさらに自分自身を研ぎ澄ませていかなければならないですね。演歌を歌う小林幸子を大切にしながら、新しいことにも挑戦して日本の音楽や文化を世界に発信していきたいです。

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ライブ終了後───

──最後にサプライズでニコニコ動画で最も人気のある楽曲、「千本桜」を歌われましたがいかがでしたか?

最初に歌ってほしいと言われたときはどう歌えばいいか、普通に歌っても自分のものには出来ないし、難しくて本当に悩みました。
でも間奏の前に詩吟を入れたらいいかとアイディアが湧いて、それでようやく小林幸子の歌になったかなっていう気がしました。
聴いてくださった皆さんにも喜んでいただけたみたいで、本当によかったです。
これからも新しいことに挑戦していきますので、そんな小林幸子を面白がってくれたら嬉しいですね。

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小林幸子
1963年、TBS「歌まね読本」に出演しグランドチャンピオンとなる。翌年10歳で「ウソツキ鴎」でデビュー。
79年「おもいで酒」が200万枚突破の大ヒットとなる。
同年、NHK「紅白歌合戦」初出場。2013年今年、芸能生活50周年を迎え、舞台・テレビドラマ・声優・バラエティなど多方面で活躍中。
幸子プロモーション公式ウェブサイト

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