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死の2日前に録音されたジミ・ヘンドリックス最後のパフォーマンス

2017.09.18

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ジミ・ヘンドリックスの登場はまさに革命だった。
卓越した演奏技術、独創的な感性、型破りなパフォーマンス、放出される圧倒的なエネルギー、何もかもが規格外だった。

しかしその生涯は1970年9月18日に、27歳の若さであっけなく幕を閉じてしまう。
死因は睡眠中の嘔吐による窒息、眠る前に睡眠薬と酒を併用したことがその引き金になったとされている。

1966年にデビューしてから亡くなるまでの4年間で残されたジミの録音は、オフィシャルでないものも含めるとかなりの数にのぼるが、その中で最後の録音とされているのが死の2日前、ロンドンのジャズ・クラブでのパフォーマンスだ。

9月5日にドイツのロックフェスに出演したジミは、ヘリコプターでロンドンへと渡るとしばらくの間ホテルに滞在し、束の間の休暇を取ることにした。

それから10日後の9月15日、ジミは元アニマルズで友人でもあるエリック・バードンのライヴを観に、ガールフレンドのモニカとともにロニー・スコット・ジャズ・クラブへと足を運ぶ。
アニマルズ解散後、エリックはアメリカ西海岸で活動していたファンクバンド、ナイトシフトのメンバーとともに自身の新たなバンド、エリック・バードン&ウォーを結成していた。

「おれはその週、ジミがロンドンに来てるということを知っててね。
もしジミがやってきて一緒に演奏できたら、すごいだろうなと思ってたのさ。
それでおれたちがクラブに出てる間に、ぜひ来てほしいんだと、ジミに何となくほのめかしておいたのさ」


エリックがジミを誘ったのは、セッションしたいという気持ちからだけではなかった。ここ数ヶ月上手くいっていない様子だったジミを心配していたのである。

しかしこの日はバンドが中々登場しないことにジミが痺れを切らせ、楽屋に行き挨拶だけ済ませて帰ってしまう。このときエリックは、明日一緒にセッションしようと約束を取り付けるのだった。

翌9月16日、ジミは自身のギターを持って再びジャズ・クラブに現れた。
その日のステージはまず前日と同様にエリック・バードン&ウォーによるライヴが展開し、ジミはセカンド・ステージから加わることになった。
エリックの回想によれば序盤のジミはひどい出来で、休憩中にはもうステージには戻りたくないと口にしていたという。
しかしジミは次第に調子を上げていった。

「数曲、かなり良い演奏をしたのち、ラスト・ナンバーの『タバコ・ロード』に入った。
ジミはその演奏に没心しているようだった。サウンドにただ夢中になっているだけではなくてバンドと素敵に溶け合ってたのさ」


※ジミのギターソロは3分20秒あたりから


「タバコ・ロード」は1960年にジョン・D・ラウダーミルクによって書かれた曲で、1964年にナッシュビル・ティーンズがカバーして大ヒットしたのをきっかけに、多くのミュージシャンにカバーされている。
エリック・バードンもアニマルズ時代にカバーしており、ウォーを結成してからもレパートリーに入れていた。

「タバコ・ロード」で幕を閉じた次の日には、ジミのもとにドラムのミッチ・ミッチェルから連絡が入り、スライ・ストーンとのセッションに来ないかと誘われた。

しかしジミが顔を出すことはなかった。

「もし、彼があそこに来ていたらスライとのジャムも夢じゃなかったのに。
僕たちはあとでザ・スピークで落ち合うことにしたのに彼は来なかった。そんなこと滅多にないのに」


ジミは帰らぬ人となったのはその翌日、午前11時過ぎのことだった。
結果として、「タバコ・ロード」はジミにとって最後の演奏となるのだった。

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