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コミックソングとナンセンスなCMで人気が爆発していた植木等の隠れた名曲「花と小父さん」

2017.10.07

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1960年代なかばに流行し始めたフォークソング調の歌謡曲、「涙くんさよなら」や「バラが咲いた」を作ったのは元ジャズ・シンガーの浜口庫之助だった。

朝起きて気分が良くて庭を眺めていた作曲家の浜口は、緑の中に赤いバラが一輪、ふわっと咲いてるのが見えたという。
「あっ、バラが咲いたな」と思って、そばにあったギターをとって「バーラが咲いた」と口ずさむと、そのまま歌になってしまったのだ。

バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラが
淋しかった ぼくの庭に バラが咲いた
たったひとつ 咲いたバラ 小さなバラで
淋しかった ぼくの庭が 明るくなった
バラよ バラよ 小さなバラ
そのままで そこに咲いてておくれ
バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラで
淋しかった ぼくの庭が 明るくなった




「バラが咲いた」は大学生だったマイク真木が歌って大ヒットし、1966年の日本レコード大賞作曲賞に選ばれた。

その翌年、浜口はジャズ・シンガーの後輩にあたる植木等の楽曲を頼まれて、「笑えピエロ」と「花と小父さん」を提供している。

1961年秋に大ヒットした「スーダラ節」以降の植木等は、映画の『無責任男』シリーズもあたって爆発的な人気を誇っていた。
さらに1963年の秋からはナンセンスな”なんであるアイデアル”という、洋傘のCMがウケて小学生以下の子供にも真似されるなど、もはや国民的スタ-といえる存在になっていた。

しかし破壊的でナンセンスなギャグとコミカルなクレージー・ソングによって、真面目人間の典型である本人とはかけ離れたキャラクターが、作品やマスコミを通じて独り歩きし、心ならずも「無責任男」としてブレイクしてしまったことで、植木等は悩むことも少なくなかったようだ。




植木等伝「わかっちゃいるけどやめられない!」(戸井十月著 小学館文庫)のなかに、こんな言葉が記されている。

僕は、こんなこといつまで続けていくんだろうと思っていたわけ。映画に出られたりレコードが出たりするのはいいんだけど、こんなことばかりやっていたら普通の歌を歌えなくなっちゃうんじゃないかって、いつも不安だった。


バンドマンでシンガーであることへのこだわりから、意を決して一対一でリーダーのハナ肇に会い、「グループから離れたい」との思いを相談したこともあったという。

そんな植木等のためにつくられた初のソロ・アルバム『ハイおよびです!!』には、「何が何だかわからないのよ」などのクレージー・ソングにまじって、子供とのデュエットによるファミリーソング「パパと一緒に」、40歳を超えた大人のシンガーに向けてつくられた永六輔と中村八大の六・八コンビによる「万葉集」、浜口庫之助から提供された楽曲なども収録されていた。



そのなかでも好評だったのが「花と小父さん」で、これは「バラが咲いた」の姉妹編ともいえるフォーク調で、メルヘンチックな小品である。

小さな花にくちづけをしたら
小さい声で僕に言ったよ
小父さんあなたはやさしい人ね
私を摘んで お家(うち)につれてって
私はあなたのお部屋の中で
一生懸命咲いて慰めて上げるわ
どうせ短い私の生命
小父さん見てて 終るまで

可愛い花を僕はつんで
部屋の机に飾っておいた
毎日僕は急いで家(うち)に
帰って花とお話をした
小さいままで 可愛いままで
或る朝花は散っていったよ
約束通り僕は見ていた
花の生命の 終るまで 終るまで


残念ながら当時の大衆が植木等に求めるイメージと、叙情的な「花と小父さん」にはギャップがあった。
したがってこの歌がテレビや映画、ライブで披露される機会は少なかった。

ただし発表された直後にこれをカヴァーした同じ渡辺プロダクションに所属する新人、伊東きよ子のデビュー曲に選ばれたことで「花と小父さん」はスマッシュ・ヒットしている。

それから5年後、やはり渡辺プロダクションに所属するアイドル・スターで、当時は空前の人気を誇った天地真理にもカヴァーされた。




さらに四半世紀が過ぎて、大瀧詠一のプロデュースによる『植木等的音楽』(1995年)では、裕木奈江をデュエットの相手に迎えて植木等によるリメイクが発表された。

最初に歌った時からおそらく、それなりに思い入れのある作品であったのだろう。
その後も森山良子や桑田佳祐にも歌い継がれて、「花と小父さん」はスタンダード・ソングになりつつある。




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