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中原理恵「東京ららばい」のアレンジを彩っていたサンタ・エスメラルダのフレーバー

2017.11.03

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桑名正博のデビュー曲「哀愁トゥナイト」をつくり終えた1977年2月、筒美京平と松本隆はリオのカーニバル観光を中心した南米旅行に出かけている。
引く手あまただったヒットメーカーの作曲家と作詞家が、まるまる1ヵ月も観光旅行に出かけるというのはめずらしいことだった。

それから1年後の1978年3月21日に発売された中原理恵の「東京ららばい」は、その南米旅行のおかげもあって出来あがったという。
確かにイントロのスパニッシュ・ギターなど、アレンジ面ではラテンのフレーバーがそこかしこに漂っている。

札幌のススキノのディスコで名をはせていたという中原理恵をデビューさせたのは、CBSソニーのディレクターだった白川隆三だ。
白川は筒美京平・松本隆のコンビとともに、太田裕美のために1974年のデビュー曲「雨だれ」から3年間で10枚のシングルと、3枚のアルバムを制作してきた関係にあった。

「東京ららばい」が誕生したのは1977年の暮れのようだが、筒美京平はその頃に「作曲家をやめる」という言葉をもらしていたらしい。
筒美京平との対談で、松本隆がこう語っている。

松本:あの時、京平さん、「もうぼくは作曲やめる」って言い出しててさ(笑)。
筒美:ホント?
松本:白川(隆三)さんがウチに来て、「松本くん、(京平先生を)ちょっと慰めてきてくれないか」って頼まれたもん(笑)。
筒美:そうだっけ?(笑)
松本:そうだよ。何か嫌なことが続いたかなんかで落ち込んでてさ。


そこで松本隆が助言をしたことから「東京ららばい」が生まれてきたのだという。

松本:「他人のヒット曲ばかり作ってないで、少し自分の好きなことやったら?」ってぼくが言ったの覚えてる?それで二人で好きなものを好きなように作ろうって言って、「東京ららばい」ができたんだよね。
筒美:そうだったかな(笑)。




中原理恵のデビューはシングル盤ではなく、アルバムだったことが歌謡曲としては目新しかった。
1978年2月にリリースされた『TOUCH ME』では、作曲・編曲には筒美京平、山下達郎、鈴木茂が名前を連ねて、坂本龍一もアレンジに加わっていた。

作詞は松本隆、吉田美奈子、竜真知子のほか、中原自身も4曲を手がけている。
歌謡曲とはいえども、お洒落なシティ・ポップスを目ざしていたのは一目瞭然だった。

白川としては同じシティポップス調でも清楚なお嬢さんタイプだった太田裕美とは別路線で、ディスコ・ブームの時代らしく都会で颯爽と生きる女性をイメージさせる戦略があったのだろう。

そうした行動的でスタイリッシュな知性派といったイメージ戦略の仕上げが、アルバムのひと月後に出す最初のシングルだった。




松本隆から「東京ららばい」の歌詞を受け取った時に、筒美京平はサンタ・エスメラルダのような感じでいこうと提案していた。

筒美:「東京ららばい」の時は、松本くんが詞を持って来た時、ちょうどぼくがサンタ・エスメラルダが好きで聴いてる頃で、「こんな感じでいかない?」って言ったら、「それで行こう」みたいな話になったんだよね。


サンタ・エスメラルダの最初のヒット曲「悲しき願い」はフラメンコ・スタイルのガット・ギター、エレキギター、ホーン・セクションがディスコ・ビートの上で絡み合う斬新なものだった。

初めはフランスで火がつき、ヨーロッパでの大ヒットによってディスコ・ミュージックに実績があったカサブランカ・レコードから、全世界に配給されて各国でレコードが発売になった。

アメリカでは1977年の12月10日付けで、ビルボード誌の全米チャートで15位を記録した。

その時点ではまだ日本で発売されていなかったが、カサブランカ・レコードの音楽が好きだった筒美京平は、最新の輸入盤で聴いていたのだろう。


〈参照コラム〉・実に日本人好みの洋楽だった「悲しき願い」~アニマルズからサンタ・エスメラルダ、そして尾藤イサオ



ようやく日本で「悲しき願い」が発売になったのは2月で、そこからヒットして4月から5月にかけては洋楽におけるナンバーワンを記録した。

中原理恵の「東京ららばい」もそのタイミングでリリースされて、たちまちのうちにヒットして注目を集めた。

午前三時の東京湾(ベイ)は
港の店のライトで揺れる
誘うあなたは奥のカウンター 
まるで人生飲み干すように
苦い瞳(め)をしてブランデーあけた
名前は? そう、仇名ならあるわ
生まれは? もう、とうに忘れたの
ねんねんころり寝ころんで
眠りましょうか

東京ららばい
地下がある ビルがある
星に手が届くけど
東京ららばい
ふれあう愛がない だから朝まで
ないものねだりの子守唄


初期の筒美京平の大ヒット曲「ブルーライト・ヨコハマ」を聴いた長唄の14代目杵屋六左衛門は、こんな目からウロコの言葉を残している。

「ブルーライト・ヨコハマなんか西洋の節をやってて、ひょいっと日本の節に入ってくるとこがある。ちょっと利用できるなと思って、何度まねしてもむずかしくてね」


それと同じように「東京ららばい」でも、「ねんねんころり寝ころんで 眠りましょうか」というフレーズからは、メロディというよりは日本の”節まわし”というべきものが顔をのぞかせる。

こうしたところが西洋音楽との絶妙なミクスチャー感を生じさせて、50年にわたってヒット曲をつくり続けた筒美京平の真価なのではないだろうか。


(注)文中の松本隆氏と筒美京平氏の発言は、松本隆対談集 風待茶房 1971-2004 (立東舎)からの引用です。おなじく14代目杵屋六左衛門
の言葉は、「永六輔の特集」 (話の特集ライブラリー) からの引用です。


『松本隆対談集 風待茶房 1971-2004』(単行本)
リットーミュージック


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