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幻の音楽番組となっていた『セブンスターショー』を作ったドラマの鬼才・久世光彦

2018.06.29

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1976年2月15日から3月28日までの7週間 、日曜日の19時30分~21時までという当時のゴールデン・タイムを使って、『サンデースペシャル・セブンスターショー』と題した音楽番組がTBS系列でオンエアされた。
NHKの大河ドラマは絶大な人気があったが、その年の1月4日から加藤剛と吉永小百合が主演する『風と雲と虹と』をオンエアし、初回から30,1%という高視聴率で始まっていた。

そこにTBSがぶつけたのが90分、全7回の音楽スペシャル番組である。
企画とプロデュースを手がけた久世光彦はテレビドラマの世界で、斬新で型破りな作品を発表して鬼才と謳われていた人物だ。
TBSのドラマ班で演出家とプロデューサーを兼ねていた久世は、1971年から始めたTBSの水曜劇場『時間ですよ』が平均視聴率29,5%、最高36,2%という数字を上げて、1973年の第3期まで続く人気ヒット・シリーズに成長させていた。

さらには1974年から始まった向田邦子脚本による『寺内貫太郎一家』も、小林亜星と西城秀樹による派手な親子喧嘩のシーンと、「お茶の間スラップスティック」と呼ばれたギャグが話題になり、1975年にも続編の『寺内貫太郎一家2』が作られる人気シリーズになった。



久世の演出とプロデュースによるドラマの大きな特徴は、物語にどう関わるのかがよくわからない変な劇中歌が流れたり、ユニークな挿入歌などが使われたことで、それらのなかから大きなヒット曲が生まれてきた。
浅田美代子の「赤い風船」、天地真理の「水色の恋」、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」、郷ひろみと樹木希林の「お化けのロック」「林檎殺人事件」などが記憶に残る印象的なヒット曲になった。

そして1975年には阿久悠の原作で制作した『悪魔のようなあいつ』から、主演した沢田研二が歌った正攻法の「時の過ぎゆくままに」が大ヒットした。



久世は歌が好きでほんとうに歌謡曲を愛していたので、当時のヒット商品だった日本専売公社のセブンスターにひっかけて、発売元の1社提供によるスペシャル音楽番組を企画した。

今でも大概はそうなのだが、テレビにおける歌番組には司会進行役がいて、出演者の魅力をトークと歌で引き出すというのがセオリーである。
しかし久世はそうしたセオリーに逆らって、ほんとうのスターならばワンマンで90分を持たせるのが当然だと、そのことを証明してみせる挑戦的ともいえる番組を企画した。

しかも久世は歌番組とドラマは別の班で作っていたTBSの、組織上の境界線を取り払ったスタッフ編成にした。
いつもはドラムを作っているスタッフたちに、このスペシャル音楽番組の演出を任せたのである。

そこで構成を担当したドラマの脚本家、南川泰三がブログで当時のことを述べている。

久世さんがとんでもない番組を考え出した。
ドラマの演出家に音楽番組を作らせようと言うのだ。題して「セブンスターショー」。
7人のビッグ歌手のワンマンショーで、しかも、正真正銘のワンマンショー。
つまり、普通、ワンマンショーと言ってもゲストや司会陣を含めて多くの出演者がいるものだが、このセブンスターショーは完全に一人で、しかも90分番組という大胆な企画だった。
出演はビッグ歌手一人、その分、番組を盛り上げるための工夫には金をいとわないという。
そこで一曲ごとにセットを変え、電飾を贅沢に使い、唄っている最中にセットが崩れ出すなど、考え得る限りの工夫を凝らした。
(南川泰三の隠れ家日記  ブログエッセイ・「猿の手相」)
https://taizonikki.exblog.jp/1745106/



2月15日の初回は当時の久世がもっとも惚れ込んでいた沢田研二、そして3月28日のトリを飾ったのは、当時ほとんどテレビに出なかった吉田拓郎だった。そのことだけでも、きわめて意欲的な番組であることがわかる。

そして久世とともにそんな挑戦的な番組を考えたのが朋友といってもいい作詞家の阿久悠で、アーティストのセレクションにも関わっていた。
二人によって候補に上がった当初のメンバーは、五木ひろし、井上陽水、西城秀樹、沢田研二、布施明、森進一、吉田拓郎、7人の男性だった。

第1回  1976年2月15日  沢田研二
第2回  1976年2月22日  森進一
第3回  1976年2月29日  西城秀樹
第4回  1976年3月07日  布施明
第5回  1976年3月14日  かまやつひろし&荒井由実
第6回  1976年3月21日  五木ひろし
第7回  1976年3月28日  吉田拓郎



しかし久世が直接声をかけたものの、麻雀仲間だった井上陽水の出演はかなわず、その代りに紅一点のユーミン(当時は荒井由実)が、かまやつひろしと一緒に出てくれることになった。
おかげで初期のユーミンがテレビにたっぷり出演することになり、かまやつひろしやティン・パン・アレーとの貴重なコラボレーションが記録されたのだから、結果的にはそれも慧眼だったといえる。

2007年に発行された『「時間ですよ」を作った男―久世光彦のドラマ世界』(双葉社) のなかで、著者の加藤義彦は第1回のオープニングがどう始まったのかについて述べている。

沢田研二の出た初回は構成が久世で、演出は浅生憲章。番組のオープニングは、つかみを大切にする久世らしく、派手な仕掛けで驚かせた。
まず画面いっぱいにレンガの壁が映り、勇壮な音楽が流れる。ロックミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のテーマである。
そして突然、壁の中央を突き破って沢田が登場し、歌い出す。しかも彼が立っているのは、巨大クレーンの先に吊るされた小さな台。
さらにクレーンの首が前後左右に大きく動くたびに、歌う沢田も空中を舞うという、なんとも豪快な演出で度肝をぬいた。


当時の資料や一部で再放送された映像などから推定するとディレクターは浅生憲章、プロデューサーがドラマ班の久世光彦と音楽班の弟子丸千一郎。
番組自体は実に潤沢な予算でつくられた良質な内容で、これぞ正真正銘のスペシャル音楽番組と呼べるものだったらしい。

大型のセットや凝りに凝ったカメラワークなどを使って、「歌」を映像とともに聴かせるという発想は、数年後にアメリカで始まるミュージックビデオ(MTV)を先取りさえしていた。
沢田研二のドラマティックな表現力は、北原ミレイのカヴァー「ざんげの値打ちもない」を見れば一目瞭然だ。



ところがこの大胆な企画は時代を先取りしすぎていたせいか、意外なことに初回放送がわずか3,7%と全く視聴率がとれなかった。
その後も数字は伸びることなく、ずっと一桁の前半で終わってしまったのである。

一番大きなGスタジオで収録されたこの番組は、時代的にはいささか先を行き過ぎていたのかもしれない。
だが2年後に弟子丸がプロデュースして大ヒット番組になる「ザ・ベストテン」は、大胆なデザインによる豪華なスタジオ・セット、1曲ごとの凝った美術とカメラワークなどの演出にしっかりと受け継がれていた。



〈本コラムは2018年3月2日に公開されました〉

『久世光彦の世界―昭和の幻景』(単行本)
川本 三郎 (編集),‎ 齋藤 愼爾 (編集)
柏書房

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