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追悼・寺尾次郎(2)~ゴダールの名を不滅にした『気狂いピエロ』で語られるランボーの詩の一節

2018.06.14

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盗んだ車を乗り継いでパリからフランスを南下し、地中海に向かう男(ジャン=ポール・ベルモンド)と、かつて恋人だった女(アンナ・カリーナ)。
女は男をピエロと呼ぶ。
殺人事件に巻き込まれた男がパリを後にするのは、退屈が見えている結婚生活と、しがらみに満ちた社会から脱出するためだ。
だが、南仏にはいったい何があるというのか?

冒険活劇漫画を携えて旅に出て、愛と永遠を求めてさすらう2人。
そのまわりにはつねに、犯罪や暴力がつきまとってくる。



映画の表現に新たなる時代の到来を告げたジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』が、寺尾次郎の新訳で蘇って再上映されたのは2016年7月のことだ。
ヌーベルバーグの代表作となったデビュー作『勝手にしやがれ』と、最高傑作という声が高い『気狂いピエロ』の二本が、あらためて撮影ネガをデジタル化したうえで新たな音ネガによって、デジタル版であることとともに寺尾次郎による新訳ということも、映画ファンの間では話題になった。

そのときの公式ホームページには、こんな惹句が打ち出されていて、ちょっと興奮させされたおぼえがある。

35歳のゴダールが、長編10作目で到達したヌーヴェル・ヴァーグ波高の頂点!自由!挑発!疾走!目くるめく引用と色彩の氾濫。 饒舌なポエジーと息苦しいほどのロマンチスム。『勝手にしやがれ』以来の盟友である撮影のクタール、ゴダールのミューズでありながらゴダールと離婚したばかりのカリーナ、『勝手にしやがれ』で大スターになりこの映画でゴダールと決別することになるベルモンド。各自がキャリアの臨界点で燃焼しつくした奇跡的傑作! デジタル・リマスター、寺尾次郎渾身の新訳!
http://pierrot.onlyhearts.co.jp/

確かに寺尾次郎による新訳は歯切れがよいだけでなく、字幕の出るタイミングや消えるタイミング、実際に聴こえてくる音との関係においても、しばしばなんと音楽的なのだろうと思えるところがある。

その究極がダイナマイトを頭に巻いてピエロが自ら爆死した直後、地中海の海の水平線とともにアルチュール・ランボーの詩集『地獄の季節』から、「永遠」という詩が女のナレーションで語られる有名なラストシーンだろう。


これまでも映画やビデオ、DVDなどでは、日本語で以下のように訳されてきた。

永遠は私たちのもの
海とそして太陽


そして太陽 永遠を 
それは海 そして太陽


映画ではなく文学ではすでに小林秀雄が、詩集で「ー」や句点を用いてこのように訳していた。

また見つけた、
-何が? -永遠が。
海と溶け合う太陽が。


ただし、それはランボーの詩にはふさわしくとも、ランボーの詩の一節を詠むアンナ・カリーナの声にはそぐわない。
最新の寺尾版ではこうなっていたのだが、それはまさに、かそけき女性の声にぴったりだった。

また見つかった! 何が?
永遠が
太陽と去った 海が




寺尾次郎は音楽の道から映画に進んで洋画の配給会社に入社し、1985年に開催された第1回東京国際映画祭で上映された『デッドゾーン』で翻訳家としてデビューした。
映画翻訳家協会が編集したムック本の「字幕翻訳者が選ぶオールタイム外国映画ベストテン」では、10本に以下の作品を選んでいた。

『神の道化師、フランチェスコ』『奇跡』『めぐり逢い』『ミュリエル』『鬼火』『少女ムシェット』『テオレマ』『ハンナとその姉妹』『八月のクリスマス』『キングス&クイーン』

だだし、そこにはこんなただし書きがあった。

ジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーは、ほぼ全作品が好きなのであえて外した。


2016年7月9日に公開された「カーサブルータス Casa BRUTUS」で、寺尾次郎はゴダールの『勝手にしやがれか』と『気狂いピエロ』を手がけたことについて、インタビューを受けてこのように語っていた。

Q 今回新たな訳を手がけることになった理由は?

いちばんの理由は、現在手軽に買える『気狂いピエロ』のDVDの字幕がイマイチだから(笑)。といっても、過去には山田宏一さんたちの素晴らしい訳もあるわけで、当初は私がやるなんて無謀だと思いました。でも、村上春樹さんがレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を新訳したとき、あとがきに書いていたんです。“訳は家みたいなもの。時間が経ったらその時代に合うように改築していいと思う”と。この2作も以前の翻訳から数十年たっているので、そろそろ直してもいいのかなと思い、担当しました。

Q ゴダール作品を翻訳する上で大切にしたことは?

翻訳者はイタコのようなもの。監督が言いたいことを最長6秒しか映らない文字でどう表現するかが勝負です。普通の作品ならできるだけ観客のわかりやすい言葉に置き換えればいいのですが、ゴダールでそれをすると、監督を裏切ることになる。だから、この2本の字幕も、初めて観る人にはよくわからないものになっているでしょうが、そのわからなさを持ち帰って自分の中で時間をかけて咀嚼してくれたらなと思います。それこそが映画の楽しさだと思うので。


『気狂いピエロ』では異様に明るい白い壁を基調にした室内のシーンで、ベッドに横たわる死体の赤い血を筆頭に、画面の中で洋服やネクタイの赤い色が動き始める。
そこから赤や青の原色が氾濫するかのように出て来て、それらの動きとともに画面も音楽のように流れていくスピーディな映画である。
断続的につながったり切れたりするエピソードは、ゴダールらしいス大胆な編集でラストシーンまで突き進んで行く。

映画監督のサミュエル・フラーの「映画とは、一言で言えば戦場のようなものだ」という言葉にはじまり、そこかしこに用いられる数々の引用とポエジーは画期的だった。
それらを「イタコ」のように視覚に訴える日本語で表現する寺尾次郎の字幕もまた、つねに聴覚から訴えてくるフランス語と重なることで、ビートを感じさせるという点で際立っていたと思う。

ここにあらためて、ご冥福をお祈りします
なおシンガー・ソングライターでエッセイストのお嬢さん、寺尾紗穂は6月6日にツイッターで「父寺尾次郎が今朝永眠しました。葬儀は親族と関係者のみで行います。私としては長らく『遠くて遠い』父でしたが、最後に少し近く感じる事ができました。ホスピスに移る日、看護師さんに『またどこかで』と言った父の姿が目に焼き付いてます。映画の一場面のようでした」とつぶやいていました。



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