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Extra便

祖国アイルランドの音楽的風景

2014.03.17

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ヨーロッパの西の果てに浮かぶ島──アイルランドが一体どのような道程を歩んできたのか?「ケルト人が築き上げた独自の文化や国家が迫害・搾取・弾圧され続けた」とか「12世紀から約800年もの歳月に渡ってイングランドの支配下におかれていた」とか、そういった歴史的記述をここで始めるつもりはない。どんなに分厚くて偉そうな文献よりも、以下の文章の方がアイルランドの時間的そして音楽的風景を切ないほどに描き出している。

車はほんの20分程度でダブリンの郊外を抜け、景観は北海道のような広大なものに変わった。行けども行けども、芝と岩だらけだった。色彩的には美しいと言えなくもないのだが、それは決定的に残酷な風景でもあった。イギリス人に徹底的に森林を伐りつくされ、森を失った結果が、この風景なのだ。

特徴的なのは、風景だけでなく、空もまた同様だった。アイルランドでは、雲の高さが異様に低いのだ。手が届きそうなほど低い場所にうっすらと雲がかかり、すぅっと雨を降らせて、あっという間に青空が戻って来る。四方を海に囲まれているうえに大きな山がなく、しかも多くの森林を失ってしまっているために、このようなことになるのだ。

さらに西へ向かっていくと、僻地性はより増していった。見渡す限り芝と岩だけで、風が強く、その風の音以外は、何も聞こえて来なかった。こんな荒涼とした風景の中に人が住んでいるとは、ちょっと想像がつきにくかった。横から吹いてくる風は、秋だというのに骨にしみるほど冷たく、どこか「あの世」のような感じなのだ。

確かにこの土地には、何かがありそうだった。土地に特有の、雰囲気ようなものだ。妖精譚をいくつも生んだような、神秘性や霊性のようなものが、空気の中にはっきりと感じられた。人の息づかいよりも、自然の奥にひそむ何かが、風景を大きく支配しているようだった。

このような、人知とは違う次元での何かが支配的な場所では、そこから生まれてくる音楽も違うものになるのは、当然のことかもしれない、と僕は実感した。人が人として音楽を作るのではなく、風景の中に宿っている何かに感応するように、人を通じて音が生まれてくるのだ。つまり人は作り手ではなく、神と音の間にたった媒介にすぎない。

波と強い風の音以外、何も聞こえなかった。世界の果てに来たような気がした。海の寂しい感じは、冬の日本海など比べ物にならなかった。最果て感と寂寞感のようなものが胸の奥にうっすらとこみ上げ、蜃気楼のように浮かぶアラン島の影を、僕は沖の彼方に見ていた。

駒沢敏器『ミシシッピは月まで狂っている』第3章「酒と音楽しかない」より


駒沢敏器
1961-2012
作家/翻訳家。80年代に雑誌『SWITCH』創刊直後より編集者/取材記者を務め、アメリカ文化の魅力や動向を読者に伝える。独立後は「音楽と旅」をテーマにした良質なトラベローグを綴り続け、自身が「魂の地図」と言っていたアメリカのスモールタウン、ハワイ、沖縄などの光景を描いた。一本のロードムービーを観ているかのような物語には、いつも音があった。2004年の初の小説『夜はもう明けている』は、そんな彼らしい静寂の美学が全編に漂う忘れ得ぬ作品。2012年3月8日死去。

〜駒沢敏器著作一覧〜
『伝説のハワイ』(1994年/東京書籍)
『街を離れて森のなかへ』(1996年/新潮社)
『ミシシッピは月まで狂っている』(1996年/講談社)
『地球を抱いて眠る』(2000年/NTT出版および小学館文庫)
『夜はもう明けている』(2004年/角川書店)
『語るに足る、ささやかな人生~アメリカの小さな町で』
(2005年/NHK出版および小学館文庫)
『アメリカのアップルパイを買って帰ろう~沖縄58号線の向こうへ』
(2009年/日本経済新聞出版社)

208140-1
駒沢敏器『ミシシッピは月まで狂っている』
1996年 講談社

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