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ビート文学発祥の地と呼ばれるサンフランシスコを初めて訪れたクラッシュのジョー・ストラマーとミック・ジョーンズ

2019.07.04

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クラッシュのジョー・ストラマーとミック・ジョーンズが、初めてアメリカのサンフランシスコを訪れたのは1978年の夏である。
目的はセカンド・アルバム『動乱-獣を野に放て(Give ‘Em Enough Rope)』のレコーディングだった。

プロデュースを依頼していたサンディ・パールマンが、自分が気に入ってる「ジ・オートマット・スタジオ」で、仕上げの作業をしたいという理由で、メンバーのうちでジョーとミックだけがロンドンからサンフランシスコに呼ばれたのだ。

ジョーとミックは初めてシスコにやって来た若者がそうするように、さっそくシティ・ライツ書店に足を運んだ。



1953年創業の店は、自由な生き方を求めたビートニクの拠点となった老舗で、自由な精神をもったアーティストたちの集まる文化的拠点であった。
当然のように「ビート文学発祥の地」と呼ばれる伝説的な店で、二人はビート詩人たちの本をたくさん買い求めた。

ジョーはロンドンでも書店に行って、コーヒーショップでみんなとおしゃべりするのが好きだった。



ところでこの時に二人が泊まったホテルは、街の中心に近いチャイナタウンに近いホリデイ・イン・セレクト・ダウンタウン(現在はヒルトン)である。

彼らにとって、そのホテルが忘れられない想い出となったのは、クリント・イーストウッドの代名詞とも言える映画『ダーティハリー』で、ビルの屋上プールで泳ぐ女性が「スコルピオ」と名のる犯人から狙撃されるシーンに使われたロケ地だったからだ。

サンフランシスコの街はどこにいても、文学、映画、音楽とカウンター・カルチャーの刺激が感じられた。




ホテルの向かい側にはシスコで唯一、パンクも出演できる「ムバイ」というクラブがあった。
二人は毎晩この店にも通ったのだが、そこにたまたま出演していたジョニー・キャッシュの義理の娘、カ-リーン・カーターのライブを見るという幸運に恵まれた。

しかも当時のカーリーンの恋人だったのが、ミックの知り合いだったイギリス人、ニック・ロウだった。
1960年代にイギリスのパブ・ロック・シーンで活躍したニックは、スティッフ・レコードのハウス・プロデューサーとしてダムドなどを手がけて、パンク・ムーブメントの渦中にいた人物だ。

ジョーはこの時、偉大なるヒーローとして少年の頃から敬っていたジョニー・キャッシュの親族と会って、しかも知り合いにもなれたことに感激していたという。

この出会いがジョー・ストラマーが自らの死の直前に、キャッシュに捧げた歌にまでつながって行くことになる。
<参照コラム>「ジョー・ストラマーが自らの死の直前にキャッシュに捧げた歌



さて、最先端のデジタル・オーディオ・レコーディング・システムなどを備えるスタジオは、かつてはサンフランシスコの伝説的なアーテストの音楽を生んだ場所だった。
当時は製作中から話題を巻き起こしていたフランシス・フォード・コッポラ、超大作映画『地獄の黙示録』のサウンドトラックがつくられたばかりだった。

スタジオ作業は3週間にわたって行われたが、ロビーにはジョーやミックの趣味に合うレコードが入ったジュークボックスが備えてあり、さまざまな刺激を与えてくれたという。

ふたりはこのジュークボックスで知ったボビー・フラー・フォーの「アイ・フォウト・ザ・ロー(I Fought the Law)」を気に入って、自分たちのレパートリーにどうやって加えるかを真剣に考えながら、この曲を持って帰国の途に就いた。



ロンドンに残されていたべ-シストのポール・シムノンは最初にその音源を聴いたときに、「すばらしい、胸踊る曲だと思った」と述べている。

「聴いたことのない曲だった。帰国したときには二人の中で、曲をどう扱うかが固まってたみたいだったから、俺たちは取り上げることにしたんだ。試行錯誤の末クラッシュの曲になったのさ。今でもみんな「ああ、あのストラマーとジョーンズの曲ね」って思っているくらいだから、実際ボビー・フラー以上にクラッシュらしい曲になっているだろ」


ボビー・フラー・フォーはエルパソの出身のバンドで、テキサス流のロックンロールをプレイしていた。
オリジナルは1959年にクリケッツが発表したものだが、最初にヒットさせたのはボビー・フラー・フォーで、1966年に全米チャートで9位のヒットになった。
それをクラッシュは13年後にカヴァーし、完全に自分たちのビートに命を吹き込み、世界中に広めたのである。



その「アイ・フォウト・ザ・ロー」を21世紀に入ってからカヴァーしたのが、カリフォルニア州バークレー出身のパンク・バンド、グリーン・デイだった。
もちろん、彼らがカヴァーしたのはクラッシュのヴァージョンである。

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