スタジオジブリ『熱風』

連載ノンフィクション第1回 日本で最初のシンガー・ソングライターが誕生

2016.03.11

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美輪:これ45年前にレコード会社で入れたやつで。『夢であいましょう』NHKでやってました、あの時の中村八大さん。「上を向いて歩こう」の。彼が編曲してくれて棒を振ってくれて。同時録音だったんですよ。
司会者:その時に録った声が、今流れてるわけですね。
(2014年12月25日NHK総合「あさイチ」プレミアムトーク)


 2014年のクリスマスの朝、NHK総合テレビの情報番組「あさイチ」に出演した美輪明宏さんが、「愛の讃歌」についてこんな言葉を口にしたのをぼくは偶然に見ていた。そして“あの時の中村八大さん”というひとことに、なぜか急に胸が高鳴ったのだった。
 
 “彼が編曲してくれて棒を振ってくれて”という言葉に、頭のなかで眠っていた小さな疑問が刺激された。
 ぼくは中村八大さんが作った「上を向いて歩こう」という歌が、どうして世界的なヒット曲になったのかを調べて、2010年から『熱風』にノンフィクションを連載した後、岩波書店から単行本として上梓した。その後もアメリカで何度かリバイバル・ヒットした「SUKIYAKI」の歩みを追って、『熱風』に連載させていただいた。
 そのときから何とはなしに気になっていたのが、1963年から68年にかけて開催されていた「丸山明宏リサイタル」だった。ほんとうのことを知りたい、そう思ったぼくは八大さんのご子息、中村力丸さんに相談して、半世紀以上も前の新聞や雑誌の記事を「中村八大データベース」から探し出した。

丸山明宏作品集 パンフレット1 丸山明宏作品集 パンフレット2
丸山明宏作品集 パンフレット

 そして八大さんが保存していた最初のリサイタル、「丸山明宏作品集」のパンフレットを力丸さんから貸していただいた。その大きくて豪華な印刷のパンフレットを実際に手にとってみたことで、二人が何かに挑戦していたらしいことが伝わってきた。
 その一方でぼくは美輪さんが書いた著書の数々を、最近のものから歴史をさかのぼるように読んでいった。そして1968年に発表した自伝『紫の履歴書』のなかで、最初のリサイタルを成功させた日の印象的な描写に出会った。

紫の履歴書  丸山明宏
『紫の履歴書』初版本

 美輪さんはシンガー・ソングライターとして日本で初めてとなるリサイタルが終わった11月8日、手伝ってくれた仲間たちと打ち上げを行った様子をこのように描いていた。

 家で、ささやかな打ち上げの会を開いた。中村八大氏はじめ善良な友人達に囲まれて僕は生きていることの嬉しさを、しみじみと感じた。
 お祝いの花束を皆に持って帰ってもらった後、それでも残った花束の中に一人佇たたずむ。
(美輪明宏『紫の履歴書』水書房)


「ささやか」と「善良」という言葉から、美輪さんがリサイタルにかけた純粋な思いと、それを支えてくれた人たちへの感謝の気持ちが感じられた。そのシーンがごく自然に目に浮かんで、少し幸せな気持ちにさせられた。

◆幻となったファースト・アルバム

 美輪明宏が77歳にして初めてNHKの「紅白歌合戦」に出場し、6分を超えるフル・コーラスで「ヨイトマケの唄」を歌ったのは、2012年の大晦日の夜のことだ。短髪に黒い衣装、ピンスポットの照明のみという演出で始まった「ヨイトマケの唄」に、それまでお祭りムードにあふれていたNHKホールは水を打ったように静まった。

美輪さん
 場内に響きわたった野太くも情感あふれる歌声が、いかに深い感銘を与えたのかについては、観客席のいたるところで聞こえたすすり泣きや、オンエア直後にインターネット上で飛び交った絶賛の嵐によって証明された。
「紅白歌合戦」における「ヨイトマケの唄」のパフォーマンスで、美輪明宏はほんもののシンガーとして存在感を大きく高めた。そして2014年の春から始まったNHKの連続テレビ小説、「花子とアン」のナレーションを務めたことでさらに親近感を増すことになった。
 ドラマの中でヒロインの友人、葉山蓮子が帝大の学生と駆け落ちするシーンが大きな反響を呼んだのは、7月18日だった。ナレーション録りのために台本を手にしたとき、美輪明宏はミスプリントかと思ったそうだ。出演者の動きだけで台詞が見当たらず、いつもなら最後に入る「ごきげんよう、さようなら」というナレーションもなかった。ただ「愛の讃歌」の歌詞だけが書いてあったのだ。
 だが、自分が訳した日本語詞を読み進むうちに、「これはきっとすごいものになるかもしれない」と期待がふくらんでいったという(2014年12月25日NHK総合「あさイチ」プレミアムトーク)。
 脚本家の中園ミホは雑誌で行われた美輪明宏との対談で、「村岡花子の話をやるっていうふうに決まったときから、もうこの曲を駆け落ちのシーンにかけようって決めてたんですよ」と語っていた。

「(蓮子が)恋愛に突き進むエネルギーみたいなものが一番こう強く現れている曲じゃないかなって、あの最初に聞いたときの衝撃とかね、今も忘れられないんですよ」
(2014年9月13日「SWITCH」インタビュー達人達「美輪明宏×中園ミホ」
http://dogatch.jp/news/nhk/28096 )


 台詞や音が一切なく、美輪明宏の「愛の讃歌」がフル・コーラス流されて終了するという演出は、視聴者の意表をついて大きな反響を呼んだ。「花子とアン」の「愛の讃歌」については、「第六五回NHK紅白歌合戦」の記者会見の席上で、美輪明宏がふたたび中村八大の名前を出してこう言及した。

「ツイッターで大騒ぎになってまして、びっくりしました。この挿入歌は私が45年くらい前に作ったもので、「上を向いて歩こう」を作曲した中村八大さんが編曲をなさって。そのときのレコードが使われたんです」
(第65回NHK紅白歌合戦記者会見)


「そのときのレコード」とは何なのか、すぐにはわからなかったので調べてみると、1968年にキングレコードから発売されたLP盤、『丸山明宏デラックス』らしいと目星がついた。そこには最新作だった「黒蜥蜴の唄」を含む、全14曲が収録されていることがわかった。それから半年後、キングレコードの好意でマスターテープを探してもらい、CDにコピーした音源を聴くことが出来た。
 そして当時の制作担当者が書いたレーベルコピー、つまり社内の制作伝票には意外なつながりが記されていた。当初のタイトルが『丸山明宏リサイタル』だということがわかったのだ。どんな事情があったのか、発売直前に変更になったらしい。『丸山明宏リサイタル』の文字には二本の線が引かれて、その横にボールペンで『丸山明宏デラックス』と書かれていた。
 ぼくはレコーディングの模様が掲載されていた記事があったことを思い出して、事実関係を照らしあわせてみた。1968年の8月10日の『サンケイスポーツ』には、東京・音羽にあるキング・レコードのスタジオでLPのレコーディングが始まったことが報じられていた。

「丸山明宏 レコードでもハッスル 歌が本職よ」
〝女優〟より大切 得意のシャンソン吹き込む

 舞台と映画で〝女優〟として脚光をあび、新しい〝女形〟といわれる丸山明宏の誕生は、ことし四月に渋谷・東横劇場で公演した「黒蜥蜴」の女賊役の好演がきっかけになったもの。このあと松竹演劇部と〝女優〟として年間二本の本数契約を結び、「黒蜥蜴」の映画化(深作欣二監督)に主演、さらに「黒蜥蜴」の名古屋公演と、はなやかな話題をまいている。だが丸山の本職は歌手だ。〝黒蜥蜴ブーム〟にのって自作の「黒蜥蜴の歌」をレコーディングし、これは十日に発売されるが、こんどは得意のシャンソンを集めたLPを企画、九日午後、東京・音羽のキング・レコードでその吹き込みを行なった。
 この日、丸山は素はだに、エリ、袖にフリルのついたオーガンジー・レースのブラウス、シルク・サテンのパンタロン・スーツに中ヒールのサンダル・シューズという男性とも女性ともつかぬいでたちで現われた。編曲者の中村八大、オーケストラの人たちに「おはようございます」とニコヤカにあいさつ。上着をぬぎ、あでやかなレースのブラウスでマイクに向かう。
 LPには、「愛の讃歌」「毛皮のマリー」「水に流して」など十二曲を収めるが、この日は「毛皮のマリー」「私の回転木馬」など七曲をレコーディングした。
(1968年8月10日 サンケイスポーツ新聞)


 8月14日に公開される映画「黒蜥蜴」に合わせて発売になったシングルの「黒蜥蜴の唄」に続いて、代表作を集めたアルバムが秋に発売される予定だったことがわかる。しかし実際には予定されていた12曲の『丸山明宏リサイタル』ではなく、14曲が収められた『丸山明宏デラックス』になったのだ。
 そのアルバムの現物が見つかったと中村力丸さんが持ってきてくださったので、二枚開きの豪華ジャケットによる『丸山明宏デラックス』に出会えた。内側には30センチ×60センチの大型ポートレートが付いていて、その裏には14曲の歌詞が掲載されていた。その末尾には、後から付け加えられたとおぼしき文章があった。それを読んでみると、本人からのメッセージだと思わせるニュアンスが感じられた。

丸山明宏デラックス1 丸山明宏デラックス2

 

『丸山明宏デラックス』をここにおとどけいたします。『ヨイトマケの唄』(SKK-67)が出て以来、各方面から「今度は丸山明宏のシャンソンが聞きたい!」とか「あのリサイタルのふんい気をもう一度!」等々かなりのご要望がありました。そのご要望に応えたのが今回のLPです。どうぞ丸山明宏の魅力をじゅうぶんにお楽しみ下さい。なお『ミロール』が著作権の関係上、日本での録音許可がおりず、おとどけできないことをおわび申し上げます。
(1966年LP盤『丸山明宏デラックス』ポートレート)


 代表曲のひとつだった「ミロール」が著作権の関係で録音使用の許諾がおりず、やむなく外したことから内容が変わったようだ。リサイタルで定番である「ミロール」が収録できなくなったので、それにともなってタイトル変更が行われたのではないかとも推察できた。
 そもそも『丸山明宏デラックス』のレコード発売と時を同じくして、それまでの33年間の歩みを記した自伝、『紫の履歴書』が上梓されることになっていた。したがってアルバムは自伝の発売にも関連性があり、それまでの音楽活動におけるひとつの到達点だったと考えていいだろう。だから中村八大と続けてきたリサイタルの集大成として、シャンソンとオリジナル曲を選んでレコード(記録)に残そうとしたに違いない。
 しかし「ミロール」でつまずいたせいなのか、このアルバムは当時はまっとうに評価されることなく、ほとんど黙殺されたに等しかったようだ。やがて1960年代後半から70年代にかけて、音楽産業が急速に発達し、音楽シーンも大きく変貌をとげたことから、いつしか忘れられていった。
 丸山明宏は1972年に美輪明宏と改名し、その3年後にはアルバム『白呪(びゃくじゅ)』(1975)を発表している。それまでのキングレコードではなく、吉田拓郎や泉谷しげるといったシンガー・ソングライターを輩出したインディーズのエレックレコードから発売になったのは、メッセージ性の強い反戦歌が収録されていたからだろう。
 その「白呪」にも新たに録り直したヴァージョンで、「ヨイトマケの唄」が収められていた。ところがフォークソングのブームが去ったことから、エレックレコードが翌年に倒産してしまった。その結果、どちらのアルバムも手に入らない状態が25年間も続くことになった。
『白呪』は2000年になって、CDとしてアンサンブル(現株式会社スピリッツ・プロジェクト)から復刻された。だが、キングレコードの『丸山明宏デラックス』は封印されたまま、いまだに幻のファースト・アルバムであり続けている。(続く)



ノンフィクション『「ヨイトマケの唄」をめぐる旅 〜美輪明宏と中村八大、三島由紀夫が生きた時代〜』の連載が、スタジオジブリの小冊子『熱風』で3月から始まりました。
編集部のご厚意のもとにその冒頭部分のテキストを、毎月TAP THE POPでも公開しています。


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