季節(いま)の歌

SEPTEMBER〜“キャンパス・ポップス”という新たな言葉を生み出した竹内まりやの出世作

2017.09.10

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からし色のシャツ追いながら 飛び乗った電車のドア
いけないと知りながら 振り向けば隠れた
町は色づいたクレヨン画 涙までそめて走る
年上の人に会う 約束と知ってて

SEPTEMBER そしてあなたは
SEPTEMBER 秋に変わった
夏の日差しが弱まるように 心に影が差した
SEPTEMBER そして9月は
SEPTEMBER さよならの国
ほどけかけてる愛の結び目 涙が木の葉になる



この「September」は竹内まりやの3rdシングルとして、1979年8月21日に発売された楽曲だ。
オリコンチャートでは10.3万枚セールスを記録するスマッシュヒットとなり、彼女はこの曲で翌1979年の第21回日本レコード大賞において新人賞を獲得した。
彼女のA&R(レコード制作)を担当していた宮田茂樹は、当時のプロモーション展開についてこう振り返っている。

「アメリカンポップスの洗礼を受けた彼女が、日本の音楽シーンにおいて新しいジャンルを作ってもいいんじゃないかと考えてました。ニューミュージックよりももっとお洒落で、ポップスフィーリングに溢れている音楽。それが竹内まりやの“キャンパス・ポップス”なんです。」

この“キャンパス・ポップス”という言葉は、彼女の音楽的要素から生まれたものだった。
彼女は1955年に島根県で生まれる。
生家は出雲大社正門前に位置する老舗旅館『竹野屋旅館』で、4女2男の6人兄弟の三女として育った。
「世界で通じるように」との父の考えから“まりや”と名付けられる。
5歳のときからピアノを習い始め、小学校の頃にビートルズの大ファンになり、アメリカのポップスに興味を持つようになる。
中学に入ると、友達同士でバンドを結成し、ピアノ、ギター、ドラムをマスターしたという。
彼女の音楽熱はますますエスカレートし、高校在学中に、AFS交換留学制度によりアメリカ・イリノイ州のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学をするまでとなる。
本場の音楽(ポップス)に接した彼女は、帰国後、慶応大学に入学し音楽サークル“リアル・マッコイズ”に入部する。
ここの先輩に杉真理(すぎまさみち)がいて、彼から音楽的影響を受けることとなる。
幼少〜学生時代と良質なポップスに触れながら育った彼女を資質を認めた宮田の狙いはズバリ“キャンパス・ポップスの女王”だった。
そのため、楽曲の作家陣も気鋭の人物を選んだ。
作詞には松本隆を、そして作曲に林哲司を指名したのだ。
松本と言えば後に、松田聖子の一連ヒットを始めとして80年代アイドルポップスにおいては無くてはならない存在の才人。
一方で林と言えば、80年代後半にかけて菊池桃子や杉山清貴&オメガトライブにおける一連ヒットで知名度を上げた作曲家である。
宮田は当時のことを鮮明に憶えているという。

「SEPTEMBERに関しては、まったく迷いがありませんでした。曲は林哲司さん、詞は松本隆さんにお願いしたのは僕の独断です。林さんへの要望はフックラインにSEPTEMBERを使ってほしい、テンポはBPM90くらい、とそれだけでした。松本さんとの仕事は初めてでしたが、キャンパスライフ、夏休み、出会いと別れ、秋の切なさ、ブラッドベリーの“10月は黄昏の国”風味…こんなプロットを織り込んで一級品に仕上げることのできる作詞家は彼しかいないと思ってましたので、初顔合わせの打ち合わせも滞りなくすませることができました。」

彼女はこの曲を引っ提げ、当時“黄金期”を迎えつつあったアイドル達と並んで新人賞レースにも参戦した。
ちなみに同年のライバルはというと…

「How!ワンダフル」倉田まり子
「私のハートはストップモーション」桑江知子
「オリビアを聴きながら」杏里
「ルフラン」井上望
「マイ・ブルーサマー」越美晴
「エピローグ」宮本典子



この翌年1980年にリリースした「不思議なピーチパイ」は40万枚を超える大ヒットとなり、彼女は“ポストユーミン”の一番手に躍り出ることとなる…。



<参考文献『フォーク名曲事典300曲』/富澤一誠(ヤマハミュージックメディア)>

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