「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

季節(いま)の歌

冬のリヴィエラ〜大滝詠一&松本隆という名コンビが生み出した“異色のヒットソング”の誕生秘話

2018.01.14

Pocket
LINEで送る


彼女(あいつ)によろしく伝えてくれよ
今ならホテルで寝ているはずさ
泣いたら窓辺のラジオをつけて
陽気な唄でも聴かせてやれよ

アメリカの貨物船が
桟橋で待ってるよ

冬のリヴィエラ 男って奴は
港を出てゆく船のようだね
哀しければ 哀しいほど
黙りこむもんだね


イタリア語で海岸を意味する“リヴィエラ”を舞台に、何とも切ない大人の歌物語が描かれた名曲である。
一般的にリヴィエラというとイタリア北西の海岸沿いを指すという。
この「冬のリヴィエラ」は森進一のシングル曲として1982年11月リリースされ、サントリーのウインターギフトのタイアップソングとして幅広い世代に愛された“冬ソング”である。
森にとっては1974年に発表した「北航路」以来、実に9年ぶりのオリコントップ10入りを果たしたヒットソングとなった。
作曲は大滝詠一、そして作詞は松本隆という名コンビによるもの。
日本語によるロック・ポップスの礎を築いたとされる伝説のグループはっぴいえんどが1972年に解散した後、大瀧は新たな創作活動に邁進し、松本は売れっ子作詞家として頭角を現していた。
この歌がヒットする前年(1981年)に、大瀧は松本がほぼ全曲作詞を手がけたソロアルバム『A LONG VACATION』(愛称:ロンバケ)を発表し、日本のポップス史に金字塔を打ち立てている。
同年、大ヒットを記録した松田聖子の「風立ちぬ」もこのコンビが手掛けたものだった。
そんな二人が紡いだ歌なだけに、唄い手が演歌スターであっても“大滝サウンド”全開の60年代アメリカンポップ風の曲となっている。
二人に曲を依頼した森のレコード会社は“異色の組み合わせ”を狙ってのことだったという。

「森進一に演歌とは全く違うロンバケの世界観を歌わせたい!」

当時、大瀧は作詞を自分で手掛ける時は曲を先に完成させ、人に作詞を任せる際には歌詞が先で後から曲をつけていたという。

「先に好きなように歌詞をつくっていいよ。」

松本はあるインタビューで当時のことをこんな風に振り返っている。

「もし演歌を、という注文だったら引き受けなかったな。僕は演歌を聴いて育ってないので言葉の選び方がわからなくて。でもサルヴァトール・アダモの“雪が降る”のような大人のポップスを、演歌の人が歌うのだったらありえると思ったんです。例えばアダモからもしも作詞の依頼を受けたら…とイメージして作ってみました。」

意識したのはロンバケの中の一曲「カナリア諸島にて」だったという。
松本はそこで描いた大西洋上の島から、実際に旅したイタリア北西部(地中海沿岸のリゾート地)へと舞台を移し、再び恋の終わりの物語を綴った。

上手にかくした旅行鞄に
外した指輪と酒の小壜さ


特にこだわったのは2番に登場するこのフレーズだった。
別れを決めた男と、その気配を感じ取った女とのドラマを絶妙に描いてみせたのだ。

皮のコートのボタンひとつ
とれかけて サマにならない

冬のリヴィエラ 人生って奴は
思い通りにならないものさ
愛しければ 愛しいほど
背中合わせになる


生前、大瀧もあるインタビューで松本が仕上げてきたこの歌詞についてこんなことを語っている。

「もう完璧に世界ができちゃってました(笑)歌詞のイメージにあわせて曲作りをしていくうちに…イギリスのベテラン歌手マット・モンローの“Walk Away”に似てきたんです(笑)」


松本はこの曲で日本作詩大賞を初受賞する。
曲のヒットから31年が経った冬の日、大瀧はこの世を去る。
2013年12月30日、65歳での急逝だった。
悲しみの中にいた森進一は、ある音楽番組に出演した際に、こんなコメントを口にして歌を披露した。

「今も私にとって宝物のような一曲です。大瀧さんに届きますよう、心を込めて歌わせていただきます。」

<参考文献『朝日新聞デジタル』>



Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[季節(いま)の歌]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ