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季節(いま)の歌

雪山讃歌〜アメリカ西部開拓時代のメロディーが、海を渡って雪山の歌になった経緯とは!?

2018.02.11

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ゴールドラッシュでその地を訪れたある鉱夫は
谷の洞窟で鉱脈を採掘しながら
クレメンタインという名前の娘と暮していた

妖精のように輝いていた彼女
靴のサイズは9号だった
蓋のないニシンの箱
それが彼女のサンダルだった

おお 愛しのクレメンタインよ…
行方知れずになって永遠に去ってしまった
本当に悲しいよ…クレメンタイン


日本では「雪山讃歌」として知られているこのメロディー。
そもそも雪山や登山とはまったく関係のない内容であることをご存知だろうか?
原曲は「Oh My Darling Clementine(いとしのクレメンタイン)」といって、19世紀のアメリカ開拓時代を舞台に書かれた歌だった。
ビング・クロスビーの歌唱や、1946年に公開されたジョン・フォード監督のアメリカ映画『荒野の決闘』の主題歌として広く知れ渡ることとなる。
歌が誕生したルーツをさかのぼると…1883〜1884年にパーシー・モントローズという音楽家によって著作権登録された記録がある。
しかし、一説によると作曲者としてバーカー・ブラッドフォードという男の名前が挙がることもある。
歌詞は1863年に発表された「Down by the river lived a maiden」という楽曲が元になっているという。
歌の冒頭に登場する“forty-niner/49er”とは、1849年前後にピークを迎えたゴールドラッシュで世界中から集まった人々を指すものだ。
その他にも、スペインの古いバラード曲が元になっていて、ゴールドラッシュ時代にメキシコ人鉱夫の間に広まったメロディーにいつの間にか英語の歌詞が付けられたのではないかと推察する研究者もいるようだが…誕生の真相は現在も明らかになっていない。

毎朝9時にアヒルを水辺へ連れていった
木の切り株に足を引っ掛けて…
彼女は泡立つ水流に落ちてしまった

水面に浮かぶ紅い唇は
やわらかく繊細な泡をふいていた
だけど悲しいことに俺は泳げなかった…
そして俺はクレメンタインを失ったのさ

山腹の教会墓地には花が咲き
いろんな花に囲まれてバラが咲いていた
それはクレメンタインのために咲いた花だ

彼女を失ってどれほど寂しかったか
逢いたいよ…クレメンタイン
だけど俺は彼女の妹にキスをしたんだ
そして俺は彼女のことを忘れたんだ…


歌の物語は、鉱山で一攫千金を夢見る男がクレメンタインという娘と暮している場面から始まる。
クレメンタインは、アヒルを川に連れて行くのが毎日の仕事だった。
ある日、切り株に足を引っ掛けて転んでしまい、川に落ちて行方不明になってしまう。溺れる彼女を助けられなかった男は悲しみに暮れて、帰らぬクレメンタインを想い続ける…と思いきや、最後には彼女の妹とキスをして悲しみを吹っ切る!?という、よくわからない結末となっている。
さて、このメロディーが日本ではどんな経緯で広まったのだろう?
まず、この曲に日本語の歌詞をつけたのは西堀栄三郎という男だった。
西堀といえば、あの映画『南極物語』で有名になった樺太犬(タロとジロ)と共に南極観測の任務を遂行した越冬チームの隊長として活躍した人物である。
それは大正の時代…彼がまだ京都帝國大学の山岳部員だった1926年の1月の出来事だった。
彼は仲間と共にスキー合宿をするために群馬県の鹿沢を訪れていた。
嬬恋村も近いそのエリアは、北関東でも屈指の積雪地帯。
滞在中、彼らは大雪で足留めを食らってしまい、身動きが取れず温泉旅館の中で時間を持て余すこととなる。

「英語教師のエルダー先生から教わっていた“Oh My Darling Clementine”のメロディーに合わせて登山部の部歌作ろう!ということになり、皆で鼻歌を唄いなが思いつくままに言葉を当てはめて歌詞を作ったんです。」

退屈しのぎに遊び半分で完成した替え歌「雪山讃歌」は、登山愛好家や雪山でレジャーを楽しむ人達の間で少しずつ広まってゆく。
それから約30年の時が流れたある日、人気ボーカルグループ“ダークダックス”のメンバー喜早哲が長野県にある志賀高原へとスキー旅行に出かけた時に、バスガールと共にスキー客達が楽しそうに唄う「雪山讃歌」を耳にした。

「こんな山奥にまで浸透しているならいけるぞ!」


1958年にダークダックスがレコード化して発売し、翌年のNHK紅白歌合戦で歌唱されるまでとなった。
曲がヒットした当初は“作詞者不詳”とされていたが、京都大学人文科学研究所教授だった桑原武夫が西堀を作詞者として著作権登録する手続きを行った。
しかし、西山はその印税を一銭も受け取ることなく、全額を京大の山岳部に寄付している。
嬬恋村では、防災も兼ねた正午のチャイムとしてこのメロディーが流されているという。
アメリカ西部開拓時代に生まれた作者不明のメロディーが、国境を越えて人々に愛され続けている。
あらためて“歌のチカラ”というものを感じずにはいられない。

雪よ岩よわれらが宿り
俺たちゃ町には住めないからに
山よさよならごきげんよろしゅう
また来る時には笑ってくれ


<参考文献『世界の愛唱歌』長田暁二(ヤマハミュージックメディア)>

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