月刊キヨシ

アメリカの壁に挑んだゲイ・カップルの勇気 「チョコレートドーナツ」

2014.08.30

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気のいいドラッグ・クイーン、ルディ(アラン・カミング)は、日銭かせぎのしがない暮らし。
ある日ひやかしで店を訪れたひとりの男、ポールと恋におちる。
どうやら今度は本物の予感。男は弁護士だった。

ルディのアパートには、大音量でカセットを鳴らす女がひとりいて、悩みの種だったが、ある日、売春容疑で連行され、姿を消す。
その部屋のドアをルディが開いてみると、はじめて見るダウン症の少年がうずくまっていた。
その名はマルコ。口にするのは、母に与えられたチョコレートドーナツだけという、愛も知らずに育った少年だった。
こうして、たよりの母にも見放された少年と、ゲイ・カップルとのおぼつかない三人の生活が始まった。

映画「チョコレートドーナツ(原題:ANY DAY NOW)」は、1970年代、ブルックリンで実際にあった出来事を下敷きにした作品である。
その後、マルコを救うため養子縁組をめざして立ち上あがったふたりだが、アメリカ国家と司法からの逆風は凄まじく、ポールも職を失い、辛酸をなめるという物語。

アメリカには、バイセクシュアルでありながらも、親になりたい、親になって子供を救いたいと願う人たちが200万人もいるといわれる。
自由の国と呼ばれながらも、たちはだかる壁がなにゆえこんなに厚く、重く反動が激しいのかということは、アメリカの建国の歴史をひもといてみなければわからない。

話はいっぺんに飛んで、1630年。
植民時代の名提督とうたわれたジョンウイン・スロップは、移民船アーベラ号の船上でこう述べたといわれる。

「われらは山の上の町のごときものであらねばならぬ。万人の目はわれらが上にそがれている。かりにも神をあざむくがごとき所業を行えば、われらは世界の語り草、もの笑いの種となるであろう」


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ここにいう「a city upon a hill」とは、イエス・キリストの「山上の垂訓」の一節に依拠したもの。
アメリカはキリスト教徒によって作られた国で、どこから見られてもいいように理想の町でなければならない。
世界が仰ぎ見る山の上の町たらんと建設されたと、国民がいまだに本気で信じ自負している国、それがアメリカのいつわらざる姿なのだ。

「神をあざむがごとき所業」の部分にノーマルでないセックス一切合財を置き換えてみれば話は早い。だからこれらの行為は許されることはないのだ。
男ふたりと少年がひとつ屋根の下に暮らそうがかまわない。ところがそれが、結婚や養子縁組というアメリカ国家の法的な領域にひとたび足を踏み入れるやいなや、司法をあげた妨害と迫害が待ち受けているのだ。

映画に話を戻すなら、ダウン症から、この映画の配役で職業俳優となったマルコ役のアイザック・レイヴァーには、胸打たれるし、見どころのひとつはアラン・カミングのラストシーン、「アイ・シャルビー・リリースト」は絶唱であるが、彼が恋人からプレゼントされたオープン・リール・テープにふき込む「Come to me」も忘れがたい一曲である。




映画『チョコレートドーナツ』 オフィシャルサイト

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