月刊キヨシ

「フランシーヌの場合」── 命にかえても伝えたいこと

2015.11.30

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マララさん、難民のため女子校開校 18歳誕生日に訴え(朝日新聞デジタルより)
昨年のノーベル平和賞受賞者マララ・ユスフザイさんは12日、レバノンのシリア国境に近いベカー高原を訪れ、シリア難民のための女子校を開校した。女子教育を支援するNGO「マララ基金」が資金を拠出する。14~18歳の200人が学ぶという。

マララさんはロイター通信に「私がここに来たのは、シリア難民の声に人々が耳を傾けねばならないからだ。難民たちは今まで無視され続けてきた」と述べた。12日はマララさんの18歳の誕生日。開校のスピーチで「きょうは私が大人になった最初の日です。世界の子どもたちを代表し、世界の指導者に対して銃弾でなく本に投資することを求めます」と訴えた。


銃撃事件から3年、マララ・ユスフザイが、レバノン、ベカー高原に難民のために女子学校を開校するまで

弾道がほんのわずかにでもずれていたなら、スクールバスに乗っていた12歳の命は確実に失われていた。

2012年10月9日。少女に銃弾を浴びせたのは、「パキスタン・ターリバーン運動」を名乗る2名の兵士。犯行声明でそれが知れた。頭蓋骨を削ぎ飛ばした銃弾によって危篤状態をさまよった少女は、翌年になって国連本部で演説するまでに回復をとげた。

少女の名は、マララ・ユスフザイ。育ったスワート渓谷からウルドゥ語のブログで訴えたのは、ターリバーンによる女子校への破壊活動だった。ターリバーンとは厳格なイスラム主義者として知られ、いかなる教育機関においても女性が教育を受けることを認めない立場をとる。

男の子のように学校に行きたいという一心で、やっとの思いでノートを手に入れた6歳の少女。しかし、ターリバーンごっこの少年たちにとり囲まれ、木の銃を突きつけられる。取り上げられたノートは引き裂かれ、草むらに巻き散らされる。泣くことも忘れて、ただ悄然と立ちすくむ少女。これは2007年に公開された女性監督による映画『子供の情景』のワンシーンだが、フィクションとはいえマララが何を感じ、何を訴えたかったかが伝わってくる。



話はさかのぼって、1969年3月30日。シンナーをかぶって焼身自殺した30歳の女性がパリで発見された。
彼女の名は、フランシーヌ・ルコント。遺書はなかったが、自死した場所がおりしもベトナム戦争をめぐって開催中の「拡大パリ会談」会場近くの路上だったこと、ビアフラ飢饉で死んでゆく子供たちの写真を身につけていたことから、抗議の自殺と思われた。

この事件は世界に配信されたが、ベタ記事にしたのは朝日新聞だけ。だが、その小さな囲みにふと目にとめた作曲家の郷五郎、作詞家のいまいずみ・あきらの心を動かし、「フランシーヌの場合」という曲が生まれた。歌手には新谷のり子が起用され、事件からたった3ヶ月という短期間(同年6月15日)で発売され、80万枚という大ヒットとなった。

この曲の発売日に6月15日が選ばれた背景には、1960年に国論を二分して日本を揺るがせた「日米安保条約」をめぐる歴史のうねりがある。1960年のその日、国会議事堂前では学生と警官隊が激しく衝突。6月15日は、22歳で命を落とした女子学生の命日として「反戦デー」と呼びならわされていた。

黙ってはいられない。見過ごすことはできない。人はときに命と引き換えに、あるいは命をかけて訴えることがある。愛の反対語は憎しみではない。それは無関心である。マザー・テレサが残した言葉である。

フランシーヌの場合は
あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ



(2013年11月30日公開/2015年7月31日改訂)

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