月刊キヨシ

カリブの小国、ジャマイカ叛乱の唄 「ハーダー・ゼイ・カム」

2017.01.31

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カリブの海にはその昔、西欧諸国が、競い合うように手に入れた島々が散らばっていた。
地上の楽園と呼ばれ、景観こそ申し分なかったが、資源も産業も乏しい小国はいつまでたっても貧しく、人々の暮らしに浮かぶ瀬はなかった。
1930年初頭、アメリカから世界中に広がった株価暴落の余波がカリブにも押し寄せると、自然発生的に民衆運動が起こり、それが独立運動に姿を変えてゆく。連邦政府のしめつけも厳しさを増してくる。

映画『ハーダー・ゼイ・カム』(1972年公開)は、そんな時代の変わり目を描いた物語である。
カリブの植民地のなかで、いち早く独立を果たした(1962年8月)のは英国領のジャマイカだった。結束の強さの秘密はどこにあったのか。
ジャマイカの民衆の心の根っ子には、どっこい簡単にはひねりつぶせない力が秘められていた。
それこそが、人々の心をひとつに結んだレゲエと祈り。
黒人の救済と解放を本義とする、宗教的思想運動、「ラスタファリ」という名のファイティング・スピリットだった。

あきれるほどイージーでアバウトでありながら、生き方の熱さなら誰にも負けない。
この映画にはそんなジャマイカ島の人々の姿が活写されている。

キングストン・タウンは見かけは近代都市といえたが、その実態は楽園のイメージとはかけはなれたものだった。
巨大なゴミ置き場に隣接して生まれた貧民街(ゲットー)を訪れたある作家は、時価数十万ドルのルイヴィトン製の衣装箪笥が、男たちの小用トイレに使われていた不思議な光景がいまだに忘れられないという。

キングストンタウン

『ハーダー・ゼイ・カム』には、ジャマイカの風土、地域、風景、人々が生きる様まで克明に描きだされているが、それはひとえにジャマイカ生まれの映画プロデューサー、ペリー・エンゼル(制作・監督・制作)の力量によっている。
現実も映画も紙一重というリアリティには、ジャマイカ生まれで、ジャマイカを見て育った眼の力がゆきわたっていた。

そもそもジャマイカには映画というものがなく、映画が何であるかを知らない人さえいた時代に、ジャマイカ制作第一号作品として制作されたのがこの作品だった。
上映のため用意された建物は、お金を払うルールを知らない人々から、映画館を守るため工場用の金属フェンスが張り巡らされていた。
だが、前夜から3千人の人々に取り囲まれ、早くもスクラップになっていたという。

映画『ハーダー・ゼイ・カム』の主人公は、なけなしの金をポケットに、ビッグになりたい一心で、農村から首都、キングストンにのぼってきた歌手志望のアイヴァン(ジミー・クリフ)。
都市の冷酷な現実にうちのめされるなかで、彼はゆく先々で、ストリート・ファイティング精神に磨きをかけてゆく。

「ハーダー・ゼイ・カム」は、ジミー・クリフの自作で、どう訳されても様になる決め台詞だが、
「やるならやってみろ!てめえらこそやられるぜ!」
あたりがふさわしいところだろうか。

ストーリーでは、思いがけずも警察官を殺してしまい、お尋ね者になったアイヴァンが、キューバに逃亡をはかって、ジャマイカの海岸に身を潜ませるが、もはやこれまでと、警官隊のまっただなかに飛び出してゆく。
このラスト・シーンは、1948年に、警官隊によって全身ハチの巣にされ、国民的なヒーローともなったシティ・ギャング、ヴィンセント・ライジーン・マーティンの実話から採られたものだった。

レゲエ・ミュージックの草分けとなった「ハーダー・ゼイ・カム」は、この作品で世に出た歌手、ジミー・クリフの代表作ともなった。
1948年の生まれで、14歳でデビュー、この作品の時、24歳だった彼には、正統、ボブ・マーリィとはひと味違った軽妙な持ち味があった。
のびやかで絶妙な高音域の魅力にのって、サントラから多くの名曲が生まれた。

主人公、アイヴァンは、命とひかえにジャマイカの国民的英雄となったのである。



『ハーダー・ゼイ・カム』

『ハーダー・ゼイ・カム』


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