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月刊キヨシ

あのジョニーはもういない

2014.01.31

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1万発の銃弾

南スーダンに展開中の韓国軍からの要請で、国連平和維持軍として日本から1万発の銃弾が供与された。2013年12月のことだ。1万発といえばどれほどの殺傷力があるのだろうと考える前に、人命保護の大義が先に立つ。つまり、女子供が逃げ込んでくる難民キャンプを、武装勢力から安全に守りきれるかどうか。
この名目に異を唱えることは難しい。銃も弾丸もモノであり、善か悪かは使用意図によって決まる。その仮説に立つなら「良い銃弾があれば、悪い銃もある」ということになるが、果たしてそれでいいのか?

あるロシア人の死

2013年末、モスクワで一人のロシア人がこの世を去った。93歳だった。彼の名はミハイル・カラシニコフという。世界中の紛争地帯で最も多く使われた自動小銃「AK-47」を設計した人物として知られる。水に潜っても、どんなに乱暴に扱っても、寸分の狂いの出ない奇跡の銃と呼ばれた。
この人物の名に覚えがなくとも、彼の小銃の形だけはひと目みたら忘れられない。独特のデザインには見覚えがあるはずだ。「007」シリーズをはじめ、世界中で製作された戦争映画で、共産圏や共産ゲリラを仮想敵にした作品であれば、ありとあらゆる戦闘場面に彼の銃は登場する。5億挺という伝説はともかく、世界中の戦場で最も需要が高かった自動小銃だった。

「心の痛みは耐えがたい」

彼が死を前にして、信仰するロシア正教会の最高権威者であるキリル総主教宛にしたためた一通の手紙が公開された。

私の自動小銃が人々の生命を奪ったことは、
たとえ敵の死であったとしても
私に罪があるのではないか

手紙の中で彼はそう述べ、「心の痛みは耐えがたい」と神に懺悔の言葉を残している。それまでにも彼は、「私は貧しい祖国(ロシア)をナチスから守るために銃を作った」とも発言していた。これに対し、総主教は「愛国主義の手本で正しい行いだ」と称えたという。

「大文字の戦争」と「小文字の戦争」

『戦争論』の著者クラウゼヴィッツは、「軍隊における国民精神とは、軍隊にいる一人一人が独立した国家の国民であること自覚し、祖国のために戦おうという精神を持ち合わせていること」と書いた。
総主教も同じだが、共通するのは戦争の高みから兵士を見下ろす視線。これを仮に「大文字で語られる戦争」と名づけてみる。国家や大義で語られる戦争はいつも大文字で語られ、その一方で戦場に送られる若者、戦争に反対する者たちの言葉は、いつも「小文字の言葉」で伝えられる。違ったロジックで交わることはない。

元歌はアイルランド

「シューシューシュラール、シューラーラクシャク、シュラババクー」──誰でも耳覚えのある前奏で知られるピーター・ポール・アンド・マリーの1963年のヒット曲「Gone the Rainbow(虹とともに消えた恋)」は、声を忍ばせるかのように静かに始まる。

元歌になっているのは、17世紀に生まれたアイルランドの反戦歌「Siuil a Run」で、呪文のような歌い出しはケルト語である。ゆかりもない英仏戦争に、英国によって無理やり戦わされたアイルランドの戦士の悲哀を歌ったもの。英国人に解らないようにケルト語が隠語のように忍ばせてある。

この曲を元歌(メロディは同じ)にした曲は、実は2曲ある。アメリカ民謡ともなった「When Johnny Comes Marching Home(ジョニーの凱旋)」と、アイルランド民謡「Johnny I Hardly Knew Ye(あのジョニーはもういない)」だ。
アメリカ民謡の方が行進曲風に陽気で、南北戦争から帰還した北軍兵士たちを鐘を鳴らして祝う明るい曲調であるのに対し、アイルランド民謡の方は、戦争で手も足をなくして、誰ともわからない姿になって祖国に送り返された息子を前に、母がこう歌う。

また人は銃を持ち、争いは繰り返す
けれどこれでもう誰も お前を奪えはしない
私からもう二度と お前を奪えはしない

ところで、敗戦以来、一発の弾も発射せずにすんできた国がある。
使われなかった弾が、いつの日か「文化遺産」になる日は来るのだろうか?

Gone the Rainbow(虹とともに消えた恋)

Siuil A Run
Johnny I Hardly Knew Ye(あのジョニーはもういない)

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