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「68 カムバック・スペシャル」~7年ぶりのライブ・ステージで完全復活を遂げた伝説のロックンロール・スター

2018.08.16

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アメリカ南部のテネシー州メンフィスから登場し、瞬く間に全米の頂点へと昇りつめた男、エルヴィス・プレスリーがアメリカ陸軍に徴兵されたのは1958年3月のことだった。
当時のアメリカでは徴兵制が敷かれており、それは大スターとて例外ではなかった。

エルヴィスの歌に出会って音楽に目覚めたというジョン・レノンは、そのことについてこう述べていた。

彼は軍隊に入った日に死んだーー。


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およそ2年間の軍役を経て1960年3月2日に除隊すると、エルヴィスはすぐに音楽活動を再開した。
そして20日と21日に6曲をレコーディングしたなかから、さっそくシングル「本命はお前だ(Stuck on You)」を出すと、4月25日には全米シングル・チャート1位を獲得した。

しかしエルヴィスはこの後から徐々に路線を変更して、映画の都であるハリウッドを拠点に俳優業に専念するようになっていく。
エルヴィスのスター性を高く評価していたマネージャーの“パーカー大佐”ことトム・パーカーは、不良のイメージが付きまとうロックンロールの世界から、映画でしか見ることの出来ない雲の上のスター的な憧れの存在に仕立てあげようとしたのだ。

パーカーの狙い通りに映画の興行成績は期待を上回る利益を生み出し、エルヴィスの歌が入ったサウンドトラックの売上も好調な数字を記録した。
そのためにコンサート活動は1961年を最後に封印されて、エルヴィスは観客の前にして歌うことがなくなってしまったともいえる。

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ロックンロールの拠り所だったスターを失った若者たちは、フォーク・ブームの中から頭角を現したボブ・ディランや、イギリスからやってきた4人組のビートルズなど、それまでにない新鮮な音楽に関心を向けるようになり、アメリカをとりまく音楽シーンは1963年から64年にかけて目まぐるしく変化していった。

一方で、エルヴィスの俳優業は出だしこそ好調だったものの、その後は内容のマンネリ化とともにヒット作も出なくなり、次第に下降線をたどり始めていく。
かつて全米チャートを賑わせていたレコードも、62年の「グッド・ラック・チャーム」を最後に、ナンバーワン・ヒットが出なくなった。
そして63年の暮に「ボサ・ノバ・ベイビー」が最高8位に入ったのを最後に、発売したシングルのおよそ半分が50位にも入らないという、目も当てられない結果が続くことになってしまうのだ。

そんなエルヴィスが音楽シーンへの復活を遂げたのは、西海岸でヒッピー・ムーブメントが全盛を迎えていた1968年のことである。



さすがに仕事の方向性に行き詰まりを感じていたパーカー大佐は、3大ネットワークのNBC(ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー)と交渉し、クリスマスシーズンにオンエアする特別番組を企画した。
1960年のフランク・シナトラ・ショーへのゲスト出演以来、歌うエルヴィスをファンにとって身近なテレビに出して、行き詰まりを打開したいと考えたのだ。

この時に番組の企画とプロデュースを引き受けたのが、ジェームズ・ブラウンやローリング・ストーンズなどのライブ番組を手がけた経験を持つスティーヴ・ビンダーと、アソシエイションの「チェリッシュ」やフィフス・ディメンションの「輝く星座(アクエリアス)」といったナンバーワン・ヒットを連発していた音楽プロデューサー、エンジニアのボーンズ・ハウの2人であった。

彼らはこの特別番組で復活しなければエルヴィスに未来はないと、ミュージックマンとしての立場から強い危機感を持っていた。

「この特別番組がまたあのMGMのくだらない映画のくりかえしになったら、それでエルヴィスは永久に一巻の終わりとなり、1950年代に登場してきたひとつの現象としてしか記憶されず、腰を振ってうたい、すご腕のマネージャーのついていた歌手としてのみ記憶にとどまる人となってしまうだろう、と私は考えた。逆に、いまでも自分がほんとうのナンバー・ワンであることをこの特別番組で出してみせることができれば、エルヴィスは完全に蘇生していくだろう、と私は思った」(スティーヴ・ビンダー)


背水の陣で史上最高のライブ番組を作ろうと目指した彼らは、パーカー大佐の出してきた全曲クリスマス・ソングという企画に対して強く反対し、それを撤回させるべく粘り強く説得を続けていった。
そしてその間に、エルヴィスとの間で具体的な選曲などを進めることで、合意を形成しながら外堀から埋めていったのだ。
復活にかけるエルヴィスはきわめて積極的で、ときにはパーカー大佐からの指示を無視しても番組作りに協力した。

ハウはエンジニアとしての修行時代に、エルヴィスのレコーディングに立ち会ったことがあった。そのときの音楽的なひらめきや、アレンジなどへの意見や判断の的確さで、表現者としてのエルヴィスの純粋さをよく知っていた。

「くだらない映画をつくりはじめる以前、自分のレコーディング作業にエルヴィスが有機的に絡んでいたときのようにできれば、大佐をとおしたエルヴィスではなく、ほんとうのエルヴィス・プレスリーをみんなに見てもらうことができる、と私たちは考えた」(ボーンズ・ハウ)




撮影が行われたのは6月末で、カリフォルニア州バーバンクにあるスタジオに観客を入れ、2日間で2回ずつ、計4回の異なる内容のステージが行われた。

7年ぶりに観客を前にしてエルヴィスが最初に歌ったのはデビュー曲の「That’s All Right」だったが、ブランクを感じさせないどころか、7年間の抑圧で蓄積させたエネルギーを爆発させるようなパフォーマンスをみせた。

その模様が12月3日に放送されると平均視聴率42%、瞬間最高視聴率70%を超える驚異的な数字を叩き出した。
人々はロックンロールのスターを忘れていたのではなく、ずっと戻ってくるのを待ちわびていたのだった。

こうしてエルヴィスは暗黒時代を抜けだして、翌1969年からはコンサート活動を再開、新たなスタートを切ることになる。



Elvis Presley『The Complete ’68 Comeback Special』
Sonybmg



(注)このコラムは2014年9月23日に公開されたものを、改題及び大幅に加筆したものです。なおスティーヴ・ビンダーおよびボーンズ・ハウの発言は、ジェリー・ホプキンズ著 片岡 義男訳「ELVIS エルビス」(角川書店)からの引用です。

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