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ジミ・ヘンドリックスの心に火をつけたビル・グレアムの言葉

2014.10.21

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ジミ・ヘンドリックスがバンド・オブ・ジプシーズを結成したのは1969年の秋のこと。

ベースにビリー・コックス、ドラムにバディ・マイルスという黒人3人による新たなバンドの初ライブは、ニューヨークのフィルモア・イーストで12月31日と1月1日に2ステージずつ、計4公演が催された。
ジミは誰も真似できないような超絶技巧、そして歯でギターを弾いたりギターに火をつけたりといった派手なパフォーマンスで観客を熱狂させる。

3公演目となる1月1日の1ステージ目を終えたジミはフィルモアのオーナー、ビル・グレアムの部屋を訪ねた。
2人はジミがモンタレーで一躍有名になる前からの付き合いで、ジミの良き理解者の1人だ。
この日、どうも調子が上がらないと感じていたジミは、ビルにライヴの感想を聞いてみたのだが、ビルは「きみが思ったとおりの感じだったよ」と答えをはぐらかした。
「おれはマジで聞いてるんだぜ」とジミが食い下がると、ビルは他のスタッフを部屋から外させた。

「きみはジミ・ヘンドリックスだろ? そのきみがあんな真似をするなんて、わたしは大いに心外だったよ」

「あんな真似ってどういう真似だ?」

「確かにきみのギターからは音が出ていた。でもあれは実のところ、単なる手先の器用さでしかなかった。違うかい? あれが本当のプレイといえるだろうか? きみのインプロヴィゼイション(即興演奏)がすばらしかったのは、きみが絶対に同じプレイをくり返さなかったからだ」

「あの歓声を聞かなかったのか?気が狂ったようになってたじゃないか」

「きみがステージでギターを持って小便しただけでも、連中は喝采しただろうさ」


この一言にはジミも頭に来たが、内心ではビルの言わんとしていることを理解していた。
数々のパフォーマンスで伝説を残してきたジミ・ヘンドリックスは、もはや100%の演奏をしなくても観客を満足させてしまうほどの存在になっていたのだ。

しかし目の前にいる男は満足しないどころか幻滅までしている。
ジミの心に火がついた。
ビルに2ステージ目も絶対見るよう釘を刺すとジミは部屋を出た。

2ステージ目が始まると、ジミは1曲目の「ストーン・フリー」から演奏時間12分を超える圧巻のインプロヴィゼイションを展開させる。



それからおよそ70分間、ジミは派手なパフォーマンスをするどころか、歩きまわることもなく、驚異的な集中力で全身全霊を歌とギターに注ぎ続けた。
最後の曲が終わりステージを降りたジミは、玉の汗をタオルでぬぐうと袖で見ていたビルに声をかけた。

「あれでよかったんだろ? これでほっといてくれるな? 好きなようにやっていいな、ビル?」

「ああ、きみは最高だった」


ビルの言葉を確認したジムは、アンコールでステージに戻るとたたみかけるようにお得意のパフォーマンスを次々と披露して観客を沸かせた。
この日の2ステージ目について、のちにビルはフィルモアの歴史の中でも一二を争うほど素晴らしいライヴだったと振り返っている。

バンド・オブ・ジプシーズはそれからまもなくして解散してしまったが、3月にはこの日の2ステージをおさめたバンド唯一のアルバム『バンド・オブ・ジプシーズ』がリリースされた。
1999年にはアルバムに収録されなかったテイクを中心に集めた『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』がリリースされ、こちらでは『バンド・オブ・ジプシーズ』に収録されなかった2ステージ目の演奏を聴くことができる。


ジミ・ヘンドリックス『バンド・オブ・ジプシーズ』
SMJ


ジミ・ヘンドリックス『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』
ユニバーサル インターナショナル

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