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ビッグ・オーの輝きを収めた黒と白の幻想的な一夜

2015.01.13

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ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』をはじめとして、伝説的なライヴを収めた映像作品は数多く存在しているが、『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』もまたロック史を語る上で外すことのできない重要な作品の1つだ。

舞台は1987年、ロサンゼルスのアンバサダーホテル。
ブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロ、トム・ウェイツ、J.D.サウザー、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット他、アメリカを代表する大物ミュージシャンたちが、1人の男のために集まった。
観客席にもクリス・クリストファーソンやレナード・コーエンなど、名だたるミュージシャンが顔を揃えていた。

髪を黒く染めてトレードマークの黒縁サングラスをかけたその白人は、モノクロームの世界で黒人の文化と白人の文化が混ざり合った音楽を演奏する。


男の名はロイ・オービソン。
映画『プリティ・ウーマン』の主題歌としても有名な「プリティ・ウーマン」をはじめとして数多くのヒット曲を生み出し、後発のミュージシャンに多大な影響を与えてきたことから“ビッグ・オー“(偉大なるオー)の愛称で親しまれている。

1936年にテキサス州で生まれたロイは生まれつき視力が弱く、幼少時代からレンズの分厚い矯正用のメガネをかけて生活していた。
目を使わなくとも楽しむことができるからだろうか、ロイは幼いころから音楽に夢中になり、わずか8歳にして地元のラジオ局で歌を披露するなど、早くもその才能の片鱗を覗かせていた。

カントリーやジャズ、R&Bなど様々なジャンルの音楽に刺激を受けながら育ち、念願のレコード・デビューを飾ったのは1956年のこと。
しかし、ロイのキャリアは決して順風満帆ではなかった。
サン・レコードと契約したロイは大手レコード会社に移籍したエルヴィス・プレスリーの後釜として期待されたが、唯一ヒットしたシングルでさえ59位止まりで、時代の波に乗ることができなかった。
レコード会社を転々とする中、ロイの音楽は次第にロックンロールからカントリーを取り入れたサウンドへと変化していった。

風向きが変わったのは1960年、モニュメント・レコードからリリースされた「オンリー・ザ・ロンリー」が全米2位の大ヒットとなると、ファルセットを活かした特徴的な歌い方と幻想的な歌詞、ソフトで心地よいサウンドが支持を得て次々とヒット曲を量産し、1964年には「オー・プリティ・ウーマン」が全世界で400万枚という大ヒットを記録した。

その後、ロイの楽曲はリンダ・ロンシュタットやドン・マクリーン、ヴァン・ヘイレンなど数多くのミュージシャンにカバーされてヒットし続けたが、ロイ本人には70年代以降エミルー・ハリスとのデュエットやベストを除いてチャートで目立った活躍はなかった。

そんなロイを再評価しようという機運が高まったのは1987年のこと。
この年、自身のヒット曲を再録音した『イン・ドリームス:グレイテスト・ヒッツ』をリリースしたロイは、ロックの殿堂入りとナッシュビル・ソングライターの殿堂入りを同時に果たした。
また、『レス・ザン・ゼロ』をはじめとしていくつかの映画に楽曲が使用され、ロイの存在は再び注目を集めるようになった。
ロイ・オービソンをメインに豪華ミュージシャンを集めたコンサートが催されたのはその年の9月、ロイが心臓麻痺で急逝する14ヶ月前のことだった。
その模様は晩年ロイのプロデュースをするようになったTボーン・バーネットがディレクターとなり、翌年1月に「ロイ・オービソン&ヒズ・フレンズ:ブラック・アンド・ホワイト・ナイト」というタイトルでテレビの特番として放送された。

そこには、数多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えたビッグ・オーの魅力が余すことなく収められている。


【こちらのコラムも合わせてどうぞ】
ロイ・オービソン──“ビッグ・オー”と永遠の少年たち
レス・ザン・ゼロ〜汚れた現実と大切な想い出の狭間で


ロイ・オービソン『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』(CD)
BMG

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