パティ・スミスにとって最大のシングルヒットとなった「ビコーズ・ザ・ナイト」。
この曲を書いたブルース・スプリングスティーンとパティによるデュエットが実現したのは2009年、ロックの殿堂25周年コンサートでのことだ。
ブルースがパティにこの曲を送ったのは1977年、3rdアルバム『明日なき暴走』がヒットしてから2年が過ぎたある日だった。
この間、元マネージャーのマイク・アペルとの裁判の影響で、ブルースはレコーディングを禁止されていた。
(ブルース・スプリングスティーン〜禁じられた日々)
裁判が終わり、ようやくスタジオでのレコーディングを再開したブルースだったが、どうしても完成させることが出来ない曲があった。
「俺は今までストレートなラブソングを書いたことがなかった。『ビコーズ・ザ・ナイト』を完成させるにはその真っ直ぐさが必要だったんだ。でも、あの頃の俺にはそれが出来なかった」
レコーディング中のある日、エンジニアのジミー・アーバインは煮詰まっていたブルースの気分転換をかねてドライブに誘う。
リゾート地に向かって車を走らせながら、アーバインはブルースにある提案をした。
「パティ・スミスならあの曲を完成させられるかもしれない。彼女にテープを渡してみないか?」
この時、パティは偶然にもブルースと同じスタジオでレコーディングをしており、アーバインは彼女のエンジニアも務めていたのだ。
自分にこの曲を完成させることは出来ないと判断したブルースは、アーバインの案に乗ってみることにした。
後日、「ビコーズ・ザ・ナイト」が入ったデモ・テープをアーバインから渡されたパティだったが、内心では乗り気になれなかった。
デビュー・アルバム『ホーセス』でこそカバーを取り上げていたパティだったが、この頃は自分が書いた楽曲だけでアルバムを作りたいと思っていたからだ。
そんなある夜、パティは自宅で恋人であるMC5のフレッド・スミスからの電話を待っていた。
しかし、いくら待てども電話は鳴らなかった。
そのとき、ふとテープのことを思い出したという。
「私はなんとなくその曲を聴いてみたの。そうしたらすうっと体の中に入り込んできて、まさに賛美歌のようだったわ」
他の人が書いた曲を歌うことに抵抗を感じる一方で、頭のなかでは曲のイメージがどんどん膨らんでいった。
この歌を歌いたい、そう強く思ったパティは製作中のアルバムに入れることを決め、実体験を交えながら歌詞を書き換えていった。
愛は鳴り響く―電話のベル
愛は天使―欲望を装っている
遠く離れた恋人からの電話を待ち続ける一途な想いが加わったことで、ようやく「ビコーズ・ザ・ナイト」は完成した。そのことについてブルースはこう語っている。
「『ビコーズ・ザ・ナイト』のような本当のラブソングを仕上げるには俺は寡黙すぎたんだ。だけどパティはとても勇敢で度胸もあった。彼女がこんなにも美しいラブソングにしてくれたんだ。この曲での彼女の働きは俺へのすばらしい贈り物になったよ」
2009年10月30日、ロックの殿堂25周年コンサートは2日目を迎えた。
ステージでは、アレサ・フランクリンとレニー・クラヴィッツ、メタリカとルー・リード、ジェフ・ベックとスティングなど、25周年にふさわしい豪華な共演が次々と実現して会場を沸かせた。
そして、U2がステージに招いたのはブルース・スプリングスティーンとパティ・スミスだった。
仲良く手をつないで登場した2人がU2のメンバーとの挨拶を終えると、印象的なピアノのイントロが始まる。
1番のAメロはパティが歌い、2番のAメロはブルースが歌った。
普段、ブルースは自身のライブでこの歌を歌うとき、自分がはじめに書いたオリジナルの歌詞で歌っていたが、この時はパティの書いた歌詞で、ストレートな恋心を見事に歌い上げた。
U2のステージでは、その後ミック・ジャガーとブラック・アイド・ピーズのファーギーを迎えて「ギミー・シェルター」も歌われ、こちらもコンサートのハイライトの1つとして語り継がれている。
