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井上陽水と忌野清志郎が組んだハバロフスク&マフィアの「夢の中へ」

2015.03.17

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1991年8月25日、福岡市の郊外にある「海の中道海浜公園」の野外劇場では、ロック・フェスティバル「ACOSTIC REVOLUTION STAR STOCK 91」が行われた。
泉谷しげるが結成した下郎、憂歌団、加川良、下田逸郎、加奈崎芳太郎といった面々に加え、若手からは社会現象になるほどの人気を集めていたたまも出演するとあって、2万人を収容できる会場は数えきれない人たちによって埋め尽くされた。

そのトリを飾ったのはハバロフスク&マフィアという聞きなれないバンドだった。
その正体は井上陽水、忌野清志郎、高中正義、細野晴臣、チト河内によって結成されたスペシャルバンドだ。

ハバロフスクは日本海を挟んで日本の向かい側にあるロシアの都市だが、当時はまだソビエト連邦の時代で、しかも新連邦条約の締結をめぐってクーデターが起きるなど、アメリカと並ぶ超大国のソ連の国内情勢は混沌として、日本のメディアでも連日報道されていた。(そしてこの年の12月にソ連は崩壊することとなる)

そんなソ連の地名からとられたハバロフスク&マフィアは、井上陽水の3rdアルバム『氷の世界』でつながったバンドでもある。

陽水と清志郎はこのアルバムで「帰れない二人」と「待ちぼうけ」の2曲を共作しているが、このときのことについて陽水は2014年にORICON STYLEのインタビューでこう語っている。

お互いヒマだったので、清志郎に「一緒に曲でも作らない?」って持ちかけたんですね。
で、僕の中野のアパートに忌野清志郎が来て、お互いギターを持って一緒に作ることになったんですけど、「どうしようかねぇ~」なんて言ってなかなか進まないんですよね(笑)。で、と交互に詞を作っていったんですよ。
井上陽水が語る、忌野清志郎さんとの共作秘話:ORICON STYLEより


「待ちぼうけ」のレコーディングでは細野晴臣がベースとして参加したほか、アルバムには高中正義、ザ・モップスの星勝、村上“ポンタ”秀一など多くのミュージシャンが参加している。
そうして作られた『氷の世界』は1973年12月1日にリリースされると、LPレコードとしては日本初のミリオンセールスに到達するという快挙を成し遂げた。

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かつて一緒にアルバムを作ったというだけあり、ハバロフスク&マフィアは見事な一体感で演奏してみせた。

この日のセットリストは「待ちぼうけ」で幕を開けると、陽水が清志郎が交互に自身の楽曲を歌い、中盤ではこの日のために新たに2人で共作した「野蛮な再会」を披露した。

忌野清志郎は「ロックン仁義」の間奏での台詞を、「遠い遠いあの頃の、はっぴいえんどやエイプリルフール、ハプニングスフォーにトランザム、侍、フライドエッグ、ミカバンドなんか、いったいどこへ行って行ってしまったんでしょう」と、ハバロフスク&マフィアのメンバーが過去にやってきたバンド名を織り込んで喝采を浴びた。

後半には陽水の「傘がない」を清志郎が、RCサクセションの「忙しすぎたから」を陽水が、といった感じで互いの楽曲をカバーする場面もあって盛り上がった。

そして盛り上がりのピークは、RCサクセションの「つきあいたい」と陽水の「夢の中へ」を、2人がデュエットで歌った時にやってきた。


この年限りのハバロフスク&マフィアは、2人で共作した「帰れない二人」で幕を締めた。

1960年代にハプニングスフォーを結成し、1970年代にトランザムを率いて、1980年代は沢田研二とCO-CóLOを組み、1990年代はTHE BOOMにサポートで参加して活躍したドラム&パーカッションのチト河内氏に、当時を振り返ってのコメントをいただいたので紹介したい。

「1番年上だったせいかリハーサルの音頭を取らされたりしたんだけど、しかもみんなのスケジュールがなかなか合わないから、1回やったら時間が空いて次やる時はみんな忘れてるって言う状態で大変でしたね。
でも未だにあのコンサートはすごく良かったと言ってもらえることが多いんですよ。最近はYoutubeとかで見た人から連絡がきたりして、そういうのはやっぱり嬉しいですね」

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