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新しいエンターテイメントを作りたいというミック・ジャガーの試み『ロックンロール・サーカス』

2023.07.25

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1968年12月10日。
ロンドン北西部の町、ウェンブリーのとあるスタジオでは、室内に用意された特設テントに、サーカス衣装をまとったロック・ミュージシャンたちが集まるという摩訶不思議な光景が広がっていた。

集まったゲストはジョン・レノン、オノ・ヨーコ、エリック・クラプトン、マリアンヌ・フェイスフル、タジ・マハール、ザ・フー、ジェスロ・タルという錚々たる顔ぶれだった。

その名も『ロックンロール・サーカス』の発案者はミック・ジャガーだ。

それまでのレコードやコンサートとは違う、何か新しい音楽のアプローチはないものかと考えていたミックは、ストーンズやビートルズの映像作品を手がけていたマイケル・リンゼイホッグに相談して、ロックとサーカスを合わせてみてはどうか、というアイディアに至った。

その模様をビデオカメラで撮影し、1月1日にBBCで放送されることが決まる。
収録は10日と11日の2日間で、初日はほとんどをリハーサルに費やした。

ステージを取り囲むように設置された観客席には、ポンチョと帽子をまとったファンが並び、ステージではライブだけでなく本物のサーカス団による様々なパフォーマンスも披露された。

ところが11日に行われた本格的な撮影は、撮り直しやトラブルなどによって大幅に時間が押したために、終わったのは翌朝の5時過ぎだった。
プロデューサーとしてずっと現場を仕切っていたミックは、ストーンズの出番になったときには精神的にも肉体的にも疲れきってしまい、満足のいくパフォーマンスができなかったという。
それでも観客はもちろん、ミュージシャンたちも特別な時間を楽しんで、撮影は無事に終了した。

ところが『ロックンロール・サーカス』が1月1日に放送されることはなかった。
その理由については様々な憶測が飛んだ。

劇場で上映されるのではないかという噂も出たが、結局公開されることがないまま、『ロックンロール・サーカス』は完全にお蔵入りとなってしまった。

公開されなかった一番の理由は、ミックが自身のパフォーマンスに満足せず、撮り直しをしたいと考えていたからと言われている。

お蔵入りとなったことで失敗作と見なされていたフィルムが、初めて陽の目を見たのは28年もの月日が経った1996年のことだ。
ニューヨーク映画祭で初めて公開された後、VHSとCDがリリースされて、長らく待ち望んでいた人たちは、ようやくその一部始終を知ることができたのだ。

そして画面に映しだされたのは、決してお金をかけただけの単なるお祭り騒ぎではなかった。

まず見逃せないのが、ジョン・レノン、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ミッチ・ミッチェルによるスーパーバンド、ザ・ダーティー・マックだろう。
この日演奏された「ヤー・ブルース」は、ビートルズの『ホワイト・アルバム』に収められたブルース・ナンバーだ。

キースのためて入るベースが生み出すブルース特有のけだるいノリの中で、ジョンが熱のこもった歌を歌い、クラプトンは巧みなギターで華を添えている。


ザ・フーの演奏もハイライトの1つで、ミックは彼らの出来のいい演奏と比較されるのが嫌で、お蔵入りにしたという噂まで出たが、それもうなずけるようなパフォーマンスだ。
ちょうどピート・タウンゼントが、自分たちの音楽に自信を持ち始めてギターを壊すパフォーマンスをやめた頃にあたる。(詳しくはこちらのコラムへ


ストーンズのパフォーマンスもけっして負けてはいない。特に「悪魔を憐れむ歌」では、ロッキー・ディジョンが叩く呪術的なコンガのリズムに乗って、観客も他のミュージシャンも踊り出して最後には大歓声が上がる。見事なクライマックスとなっている。


工夫を凝らしたアイデアと参加したミュージシャンたちの好演によって、新しいエンターテイメントを作りたいというミックの試みは、しっかりと実を結んでいたのである。

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