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ブリティッシュ・ロックが一堂に会したカンボジア難民救済コンサート

2015.08.04

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元ビートルズ4人のもとに国連のワルトハイム事務総長から、カンボジア難民のために再結成コンサートをしてほしい、という依頼がきたのは1979年頃のことだった。

カンボジアでは、ポル・ポトを中心とするクメール・ルージュが1975年に実権を握ると、国名を民主カンプチアと改め、原始共産制を推し進めた。
貧富の差もない、階級の差もない、はるか昔の狩猟採集社会に戻ろうというのである。
そして「知識は格差をもたらす」という考えから、教師、医師、学者、技術者などあらゆる知識人が虐殺され、多くの国民が農作業を強いられた。
そこに干ばつや疫病の流行が重なってわずか4年間で人口のおよそ5分の1が亡くなり、カンボジアからは多くの難民が周辺の国々に逃れた。

しかしこのような現状は、情報封鎖によってほとんど世界に知られることはなかった。
そこでワルトハイムは、ビートルズに再結成をしてもらい、チャリティー・コンサートをしてもらえないだろうかと考えたのである。

打診を受けた4人のうち、ジョン・レノンを除く3人はビートルズの再結成でなければ、という条件つきで出演に承諾した。
ところが、メディアが「ビートルズ再結成か」と騒ぎ立てたために、ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターが降りてしまい、残されたポール・マッカートニーが中心となって進める運びとなった。
その結果、カンボジア難民救済コンサートは総勢10組の豪華アーティストたちによる大規模なチャリティー・コンサートとなる。
開催は1979年の12月26日から4日間、場所はロンドンのハマースミス・オデオンに決まった。

初日には出演したのは人気絶頂にあったクイーンだ。
彼らのイギリス・ツアー最終日だったこともあって熱のこもったプレイを披露し、このときのパフォーマンスは彼らのベスト・パフォーマンスの1つに数えられるほど素晴らしい内容となっている。



2日目にはパブロックの雄、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、レゲエバンドのマトゥンビ、そして3rdアルバム『ロンドン・コーリング』をリリースしたばかりのクラッシュが登場した。
余談だが、『ロンドン・コーリング』のプロデュースを手がけたガイ・スティーヴンスは、このとき楽屋でアイロンがけをしているジョー・ストラマーの姿を見て感動したという。

「床の上にタオルをしいてステージ衣装にアイロンをかけてたんだぜ。ジーン・ヴィンセントやエディ・コクラン、ジェリー・リー・ルイス以来だよ」




3日目は「ブラス・イン・ポケット」でブレイクする直前のプリテンダーズ、スカを取り入れたロックで人気を集めていたスペシャルズが勢いのある演奏で会場を盛り上げると、トリを飾ったザ・フーも負けじと磨き上げられたライヴ・パフォーマンスで会場を熱狂させた。



最終日にはニューウェイヴを牽引するエルヴィス・コステロ、デイヴ・エドモンズとニック・ロウが属するロックパイル、そしてウイングスが出演した。
ウイングスのデニー・レインによれば、このときメンバーは出番まで12時間半も待つこととなり、待ち時間のストレスをアルコールで紛らわしていたという。そのせいか、ウイングスのプレイは精彩を欠いたものとなってしまった。

「だがポールはそうではなかった。彼はスコッチ・アンド・コークか何かをやっていたろうが、酔っ払うというほとではなかった。彼はいつでも完璧なプロだったよ」


ところがポールは、このコンサートから14日後の1980年1月12日、ツアーで降り立った日本でマリファナ所持により逮捕されてしまった。
プロとしてあるまじきミスによって、その後のツアーはすべてキャンセルとなり、メンバーからのポールへの信頼は失われた。
カンボジア難民救済コンサートが最後のステージとなるとは夢にも思わなかっただろうが、ウイングスがステージに立つことは2度となかった。

コンサートの最後を飾ったのはウイングスのラストアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」で実現した豪華ミュージシャンたちによるユニット、ロケストラだ。
この日はウイングスのメンバーに加えてザ・フーのピート・タウンゼントとケニー・ジョーンズ、ロックパイルのデイヴ・エドモンズ、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナムなど総勢20名以上のミュージシャンが参加し、リトル・リチャードの「ルシール」、「レット・イット・ビー」、「ロケストラのテーマ」を披露した。


チャリティー・コンサートとして見れば大成功といえるほどの成果を上げたとは言えず、メディアからは「貧民のためのバーゲンセールのようなものだ」と評されてしまった。
だがここで注目すべきは、それまでバラバラだったイギリスのロックバンドが、1つの目的のために集まったことだろう。

ビートルズの登場以来、多様な進化を遂げていったブリティッシュ・ロックだが、そこには世代の壁やジャンルの壁、そしてイギリスならではの階級の壁もあり、なかなか一堂に会するようなことはなかった。
それが70年代も終わろうというときに、チャリティー・コンサートを通じて集まることが出来たのだ。

これが試金石となり、1984年にはブームタウン・ラッツのボブ・ゲドルフを中心に、再びブリティッシュ・ロックが1つに集まってバンド・エイドを結成し、20世紀最大のチャリティー・コンサート『ライヴ・エイド』へと繋がっていくのである。

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