「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the LIVE

ジョアン・ジルベルトを偲んで~ボサノヴァの名盤『ゲッツ/ジルベルト』のコンサートが行われたカーネギーホールの客席にいた中村八大

2019.07.07

Pocket
LINEで送る

作曲家の中村八大が家族とともにニューヨークへと移住したのは、1964年の8月が終わろうという頃だった。

坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」のタイトルで全米1位を記録し、世界的なヒットとなった中村八大だったが、あまりにも仕事に追われる日々から逃れるように、家族とともに日本を離れて1年間、自分で充電期間を作ったのである。

それからはエンターテイメントの本場でコンサートホールやジャズクラブ、ライブハウスに通いつめて、音楽中心に過ごす日々を送りはじめる。
なかでも世界有数のコンサート会場であるカーネギーホールへは、ジャンルにとらわれず毎週のように足を運んだ。

カーネギーホール

1964年10月9日はジャズ・ミュージシャンのスタン・ゲッツと、ボサノヴァを創生したとされる作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン(愛称トム・ジョビン)、そして「ボサノヴァの神」とも呼ばれた歌手のジョアン・ジルベルトによるコンサートだった。

ブラジルで1950年代末に生まれた「ボサ・ノヴァ(新しい波)」は、1960年代になってから海を超えてニューヨークの音楽ファンの間にも広まり始めた。
ジャズ・ミュージシャンたちにとって、ボサノヴァは新鮮かつ想像力を刺激するものだった。

伝説のピアニスト、セロニアス・モンクはボサノヴァについて、「ニューヨークのインテリたちの音楽、ジャズに欠けていたものをもたらした」と語っている。

最初にブラジルからミュージシャンを招いて、ニューヨークでボサノヴァ・コンサートが催されたのは1962年11月21日のことだ。

その夜はジョアン・ジルベルトとトム・ジョビンのほか、セルジオ・メンデス、カルロス・リラなど、ブラジルを代表するミュージシャンが集まった。
本物のボサノヴァが初めて演奏されるということで、会場となったカーネギーホールはソールドアウトになった。

そしてスタン・ゲッツやマイルス・デイヴィスをはじめとして、多くのミュージシャンたちも観客として足を運んだ。

しかしブラジルからやって来た出演者たちに、不安な要素がないわけではなかった。
ニューヨークの観客が普段耳にしているボサノヴァは、主にアメリカのジャズ・ミュージシャンたちが演奏したものだ。
つまりはボサノヴァの要素を取り入れたジャズであり、純粋なボサノヴァが受け入れられるという保証はどこにもなかった。

だが、そんな不安はまったくの杞憂に終わり、コンサートは拍手喝采に包まれて大成功となった。



この成功によってジョアン・ジルベルトは名門ジャズ・レーベルのヴァーヴと契約がまとまった。
スタン・ゲッツとの共作『ゲッツ/ジルベルト』がレコーディングされたのは1963年の3月のことだ。

ところがジョアン・ジルベルトがゲッツとまったくそりが合わず、トム・ジョビンのとりなしで何とか録音だけは無事に終えたという、かなり危うい状態だった。

ヴァーヴのプロデューサーだったクリード・テイラーはしばらく様子を見ながら、アルバムをリリースする時期を待つことにした。



それから1年が過ぎた1964年4月、ようやくアルバムがリリースにされると、予想を上回る反響を呼んでを記録する。
このときにテイラーは「イパネマの娘」をシングル・カットするにあたって、5分以上あった曲をゲッツやジョアンに無断で編集し、ラジオ局がオンエアしやすいように2分48秒にまで縮めた。

その狙いが的中して、アストラッド・ジルベルトが歌った「イパネマの娘」は、最終的には200万枚を超える大ヒットになったのである。

アメリカにおけるボサノヴァ人気は誰の目にも明らかなものとなり、ジョアン・ジルベルトは10月にゲッツと共演するために、ふたたびカーネギーホールの舞台に立った。

コンサートはアルバム『ゲッツ/ジルベルト』とは違って、前半がスタン・ゲッツ・カルテットのジャズ、後半がジョアン・ジルベルトによる弾き語り中心のボサノヴァという2部構成だった。

そして最後にアストラッドが登場して、「イパネマの娘」などを歌う形で共演を実現させた。
この夜のライブにおけるジョアンの歌と演奏はメロディとリズムだけでなく、ハーモニーやグルーヴもふくめて、声とギターだけで完璧な音楽空間を作り出す名演だった。

ライブの模様は『ゲッツ/ジルベルト#2』というタイトルで、後にアルバムとして発売されている。
ただし録音にトラブルが生じたために、A面がスタン・ゲッツの演奏、B面がジョアン・ジルベルトのライブで、アストラッド・ジルベルトとの共演はレコードに収録されなかった。

中村八大は1961年に初めてブラジルに行って以来、サンバやボサノヴァに強く関心を持っていたが、その夜のコンサートについては心から満足したようだ。
当時の日誌に、「Very good ソフトでとてもよかった」と、書き残してあった。


ゲッツジルベルト2


なお、後にCD化された際には収録時間の問題と録音状態の悪さから、アナログレコードには収録されなかったアストラッドが登場して共演した「イパネマの娘」の貴重な音源も、ボーナス・トラックとして日の目を見た。
そこでは人気が急上昇していたアストラッドの歌声で、半世紀以上も前の歴史的な夜にタイムスリップすることが可能だ。

(アストラッド・ジルベルトの登場は50分過ぎたあたりからで、52分30秒過ぎからはジョアンとのデュエットによる「イパネマの娘」が聴取できます)



(注)本コラムは2015年10月20日に公開されたものを、ジョアン・ジルベルトの訃報に接して改題したものです。


スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト『ゲッツ/ジルベルト#2+5』
Universal

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the LIVE]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ