「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the LIVE

安田南のステージが占拠されて幕を閉じた第3回フォーク・ジャンボリー~「日本の音楽シーンがフォークからロックに変わった瞬間だった」

2016.03.08

Pocket
LINEで送る

1969年から始まった日本初の野外フェスティバル、全日本フォーク・ジャンボリーは岐阜県の中津川市で暮らす若者が中心となって始まり、第1回では2500人ほどの人たちが参加した。(詳しくはこちらのコラムで

そして回を重ねるごとにその期待と注目度は高まっていき、第3回となる1971年ではレコード会社やテレビ局も加わり、来場者は2万人以上にまで達した。
ステージもメインのほかにロック・ステージとフォーク・ステージという2つのサブが用意され、イベントは過去最大規模となった。
出演するミュージシャンも前年の24組から42組へと倍増、ジャンルもフォークにとどまらず、かまやつひろしやブルース・クリエイションといったロック勢、日野皓正や安田南といったジャズ勢も加わり、多様かつ豪華な顔ぶれが揃った。

初日が開演したのは8月7日の16時半頃。多くの若者は純粋にコンサートを楽しみに来ていたが、中にはそうでない者たちもいた。
彼らは運営がロックやジャズを取り込んだことや、テレビ局の取材を入れたことに対して「商業主義に走った」と不信感を抱いていた。

コンサートが始まると、不満はさらに蓄積されることとなる。
前日に降った大雨の影響で会場は蒸し暑かったのだが、町の人口のおよそ3倍もの人が集まったことで、飲み物はどこも売り切れになっていた。
さらにはトイレの数もまったく足りず、劣悪な環境の中でストレスは溜まるばかりだった。

そうした不満はステージへと向けられ、演奏中に野次ばかりか、ものが飛んで来るのも珍しくなかった。
高田渡によれば、初日のステージでは花火を投げ込まれたという。

かまやつひろしは自著『ムッシュ!』でこう振り返っている。

「花嫁」が大ヒットしたばかりで、レコードが売れてバリバリだったはしだのりひことクライマックスがステージに上がったら、ビンは飛んでくるわ、ヤジられるわでとても演奏できる状況じゃない。
結局、途中でやめるはめになって、それからぼくの番になった。
スパイダースにいたから、やっぱりクライマックスと同じように「商業主義、帰れ!」とか怒鳴られるのかなと、こわごわ出ていったのだが、いきなりフィドルをチャッチャッと鳴らしてカントリーを始めたら、何とか着地できた。
しかし、怖かった。あんなに緊張したことはなかった。


いつ何が起きてもおかしくないという混沌とした空気が漂う中で、コンサートはなんとか進行していった。

2日目の夜、サブ・ステージに登場した吉田拓郎は電源が落ちるアクシデントで、「人間なんて」を生歌で歌い、そこに小室等や山本コータローも参加して、2時間も歌い続けるというパフォーマンスで若者たちを熱狂させた。
詳しくはこちらのコラムで

会場に隣接する椛の湖は灯籠の淡い光で照らされていた。
前日の昼頃、学生が高校生がドラム缶で作った船から転落し、湖で溺死するという事件が起きていた。

午後10時頃、日野皓正に続いてメインステージに登場したのは、後に「プカプカ」のモデルになったといわれるジャズ・シンガー、安田南と鈴木勲カルテットだ。
詳しくはこちらのコラムで

ステージに上がった安田だったが、イントロが始まるや否や、「やめろ」「帰れ」といった激しい野次が飛んできた。
安田は歌を聴きにきている人たちのために、辛抱強くライブを続けようとしたのだが、そこへコーラの瓶が投げ込まれた。

その現場に居合わせた1人で当サイトのライターでもある長澤潔は、とっさに火炎瓶が投げ込まれたのかと思ったという。
しかし、それがただの瓶だと分かると、安田は「テメーッ!」と叫びながら客席に瓶を投げ返した。

舞台袖で撮影しながらその一部始終を見ていた写真家の井出情児によれば、マイクを握っていたので「バカヤロー!」という声が響きわたったという。

この行動が引き金となって観客の一部がステージへと上がり込んで、安田からマイクを奪いとって自分たちの主張を演説し始める事態となった。
そしてコンサートを続けようとする実行委員会側との押し問答から、ステージは暴徒化した観客に占拠されてしまう。

次の出番を待っていたはっぴいえんどは大切な楽器を持って避難して無事だったが、マイクやスピーカーの電源は切られ、照明も落とされてコンサートは中止になった。

その後も裸電球が照らす薄暗い中で、ステージを中心にあちらこちらで朝まで議論が交わされた。

主催者の笠木透は、もともとこの第3回で最後にするつもりだったというが、途中でコンサートがつぶされてしまうという幕引きとなった。

この日を境にフォーク・ブームの担い手となっていた岡林信康が表舞台から姿を消し、吉田拓郎が新たな時代のニューヒーローとなっていく。
また3ヶ月後には、はっぴいえんどが『風街ろまん』をリリースするなど、日本の音楽シーンは新たな変革の時期を迎えたのである。

井出情児によれば第3回フォーク・ジャンボリーは、「日本の音楽シーンがフォークからロックに変わった瞬間だった」という。

(写真提供:井出情児)




【井出情児さん出演イベント】
新宿カウンターカルチャーストーリー
Vol.3 新宿アンダーグラウンド~テント芝居・路上ハプニング~

安田南や原田芳雄との思い出など、新宿を舞台に当時の日本の音楽シーンやアングラ演劇を語ります。

2016年3月13日(日)16:00開演
新宿文化センター 小ホール
講師:佐藤剛(プロデューサー/作家)
ゲスト:井出情児(写真家/映像監督)

詳細はこちらでご確認ください

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the LIVE]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ