TAP the POP

テレビ番組で凄まじい爆発を起こして伝説となったザ・フー

1967年6月16日から3日間に渡って開催されたモントレー・ポップ・フェスティバル。
全米から多くのバンドやミュージシャンが集まる中、海を超えてイギリスから参加したのがザ・フーだ。

本国では絶大な人気を誇る彼らだが、アメリカにおいてはビートルズやストーンズの影に隠れてしまっていた。
それゆえにモントレーの舞台は彼らにとって大きなチャンスだったのだ。

最終日となる18日、ザ・フーの出番が回ってくると、同じくイギリスから参加していたアニマルズのエリック・バードンによってこう紹介された。

「このグループはあらゆる意味でお前たちを破壊することになるだろう!」


ザ・フーのライブにおける醍醐味の1つが、楽器を破壊するという過激なパフォーマンスだ。
このときもザ・フーはライブの最後に楽器を壊し、観るものを唖然とさせるのだった。



ところがその日もっとも脚光を浴びたのは、ザ・フーの直後にステージに上がったジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスだった。
圧巻のギター・ソロに加え、最後にはギターに火をつけるという伝説的なパフォーマンスで、会場を熱狂の渦に包んだ。
ザ・フーのピート・タウンゼントも、観客席でそのプレイを見て圧倒されたという。

もっとも、ロンドンでジミのプレイをすでに知っていたピートからすれば当然の結果だった。
ザ・フーとジミとの間では、どっちが先にステージに上がるかで本番前に一悶着あったのだが、それもジミのパフォーマンスには敵わないことを知っていたからだった。

すっかりジミに話題を持っていかれてしまったザ・フーだが、それから2ヶ月後にテレビ番組でとんでもない事件を起こす。

9月17日、この日はCBSの番組、『スマザーズ・ブラザーズ・コメディー・アワー』の収録だった。
ゲストとして呼ばれたザ・フーは代表曲である「マイ・ジェネレーション」を演奏したのだが、事件が起きたのは曲が終わろうという時だ。
いつものようにピートがギターを壊し始めると、キースもそれに続いてドラムキットを倒しながらバスドラムに仕込んだ火薬を引火させたのだが、このときキースはテレビの収録ということもあって、いつも以上の火薬を仕込んでいた。
そのためステージは凄まじい爆発音とともに煙に包まれ、爆風が直撃したピートの髪は燃え、耳に障害が残るほどのダメージを負う。
バックステージにいた他の出演者の中には、気を失うものも現れた。

モントレーでエリック・バードンが予言した通り、ザ・フーのパフォーマンスは観るものの常識を破壊するほどの衝撃を全米にもたらすのだった。


このテレビ番組をポップ史における一大モーメントにしたのはキースだったかもしれない。だがやつはときに、最低最悪な男だった


至近距離で爆発に巻き込まれたピートは、自伝でそのように振り返っている。

メンバーがキースの度を過ぎた行動に困らされるのはよくあることだった。
テレビ収録のおよそ1ヶ月前にホテルでキースの誕生日パーティーを催したときには、部屋中がケーキまみれになり、プールには高級車として知られるリンカーンが沈んでいたという。
さらにはそのときサインを求めてきたファンにランプを投げつけた挙句に殴り掛かるという傷害事件も起こした。

キースの常軌を逸した行動にはメンバーも手を焼いていたが、「スマザーズ・ブラザーズ・コメディ・ショウ」の効果は絶大だった。
番組の放送と同じ月の18日にリリースされたシングル、「アイ・キャン・シー・フォー・マイルズ」(邦題「恋のマジック・アイ」)は全米チャートで彼らの歴代最高位である9位を記録する。
キースの起こした爆発は、ザ・フーの全米進出において間違いなく起爆剤となった。

その一方で、破壊的なパフォーマンスはこれ以上ないところまで行き尽くしてしまい、ザ・フーがさらなる進化をするためには新しい何かが必要となるのだった。
ロック・オペラ『トミー』を成功へと導いた「ピンボールの魔術師」が誕生した経緯へと続きます)





参考文献:
『ピート・タウンゼント自伝 フー・アイ・アム』ピート・タウンゼント著/森田義信訳(河出書房新社)