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浅草で幕を開けたフランク・ザッパ唯一の来日公演

2023.12.03

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1975年8月7日に後楽園球場で開催されたロックフェス、「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」。

日本からはイエロー、カルメン・マキ&OZ、クリエイション、四人囃子の4組が、そして海外からはジェフ・ベックとニューヨーク・ドールズらを招待するという、当時としては日本最大級の規模だった。

その仕掛け人である内田裕也には、この時どうしても海外から呼びたいアーティストがもう一組いたという。
それがフランク・ザッパだ。

精神的に非常に多大な影響を与えてくれたF・ザッパとのコンタクトを2年前から続けており、ワールド・ロックにも是非という事をアプローチしたんだが、スケジュールの都合でどうしてもダメだ、2月ならOKだという返事を今年(’75)の10月にNew Yorkでもらって、初めてのF・ザッパの日本登場をやっと実現させることになった。(来日公演のパンフレットより)


フランク・ザッパの存在は、ロックシーンにおいて他と一線を画していた。
1966年にリリースされたデビュー・アルバム『フリーク・アウト!』は、バンドの拠点であるカリフォルニアはおろか、全米においても類を見ない独創性溢れる作品だった。


その後も1つのジャンルに留まることなく、ザッパは常に音楽を変化させ、進化させてきた。

内田裕也は1971年にニューヨークのフィルモア・イーストで実際にそのステージを目にし、いつか関わりたいと感じたという。
それから5年の年月を経て、フランク・ザッパの初来日公演というかたちで、その想いはようやく実現にいたるのだった。

公演は1976年の2月1日から東京、大阪、京都、そしてもう一度東京の全4回。
初日は松竹が運営していた今はなき浅草国際劇場で開催され、「ユウヤ・ウチダプレゼンツ浅草最大のロック・ショウ」と題された。



前座としてまずコスモス・ファクトリーが登場し、続いてワールド・ロックにも出演した四人囃子、そして元タイガースの井上堯之と麻生レミによるウォーターバンド、内田裕也とミッキー吉野グループらによる内田裕也&1815 Rock’n’Roll Bandと、4組のバンドによる演奏が続いた。

そしてSKDこと松竹歌劇団によるダンスを挟んで、ようやくフランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インベンションが登場する。

生で聴くフランク・ザッパの世界に惹き込まれて会場は静まり返ったという。

※2月5日の東京公演

当時はフランク・ザッパの知名度がそれほどなかったこともあり、初期の作品は輸入盤のみだったが、この来日公演がきっかけでそれらの国内盤がリリースされるようになる。

そして来日公演の影響は、もうひとつ目に見える形で現れた。
その年の10月にリリースされたニュー・アルバム『ズート・アリュアーズ』には、「雑葉(ざっぱ)」と書かれた角印が押されている。
それは京都公演で贈られたものだった。

zappa

また、このアルバムに収録されている「ブラック・ナプキンズ」は、大阪公演で演奏されたものが使われている。


フランク・ザッパは1993年に52歳の若さで亡くなってしまい、これが唯一の来日公演となってしまったが、ザッパの音楽を日本に普及させたという点において、日本の洋楽シーンにおける重要な出来事のひとつと呼んでもいいのではないだろうか。

(このコラムは2016年10月25日に公開されたものです)







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