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浅草で幕を開けたフランク・ザッパ唯一の来日公演

2016.10.25

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1975年8月7日に後楽園球場で開催されたロックフェス、「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」。
日本からはイエロー、カルメン・マキ&OZ、クリエイション、四人囃子の4組が、そして海外からはジェフ・ベックとニューヨーク・ドールズらを招待するという、当時としては日本最大級の規模だった。

その仕掛け人である内田裕也には、この時どうしても海外から呼びたいアーティストがもう1組いたという。
それがフランク・ザッパだ。

精神的に非常に多大な影響を与えてくれたF・ザッパとのコンタクトを2年前から続けており、ワールド・ロックにも是非という事をアプローチしたんだが、スケジュールの都合でどうしてもダメだ、2月ならOKだという返事を今年(’75)の10月にNew Yorkでもらって、初めてのF・ザッパの日本登場をやっと実現させることになった。


frank-zappa

フランク・ザッパの存在は、ロックシーンにおいて他と一線を画していた。
1966年にリリースされたデビュー・アルバム『フリーク・アウト!』はバンドの拠点であるカリフォルニアはおろか、全米においても類を見ない独創性溢れる作品だった。



その後も1つのジャンルに留まることなく、ザッパは常に音楽を変化させ、進化させてきた。
内田裕也は1971年にニューヨークのフィルモア・イーストで実際にそのステージを目にし、いつか関わりたいと感じたという。
それから5年の年月を経て、フランク・ザッパの初来日公演というかたちで、その想いは実現に至るのだった。

公演は1976年の2月1日から東京、大阪、京都、そしてもう一度東京の全4回。
初日は松竹が運営していた今はなき浅草国際劇場で開催され、「ユウヤ・ウチダプレゼンツ浅草最大のロック・ショウ」と題された。



前座としてまずコスモス・ファクトリーが登場し、続いてワールド・ロックにも出演した四人囃子、そして元タイガースの井上堯之と麻生レミによるウォーターバンド、内田裕也とミッキー吉野グループらによる内田裕也&1815 Rock’n’Roll Bandと、4組のバンドによる演奏が続いた。

そしてSKDこと松竹歌劇団によるダンスを挟んでようやくフランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インベンションが登場する。

生で聴くフランク・ザッパの世界に惹き込まれて会場は静まり返ったという。

※2月5日の東京公演


当時はフランク・ザッパの知名度がそれほどなかったこともあり、初期の作品は輸入盤のみだったが、この来日公演がきっかけでそれらの国内盤がリリースされるようになった。

そして来日公演の成果はもう一つ目に見えるかたちで現れた。
その年の10月にリリースされたニュー・アルバム『ズート・アリュアーズ』には、「雑葉(ざっぱ)」と書かれた角印が押されている。
それは京都公演で贈られたものだった。

zappa

また、このアルバムに収録されている「ブラック・ナプキンズ」は、大阪公演で演奏されたものが使われている。



フランク・ザッパは1993年に52歳の若さで亡くなってしまい、これが唯一の来日公演となってしまったが、ザッパの音楽を普及させたという点においては、日本の洋楽シーンにおける重要な出来事の1つと呼べるかもしれない。


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