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ジェリー・リー・ルイスが放った超弩級の火の玉~『ライヴ・アット・ザ・スター・クラブ、ハンブルク』

2017.08.29

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「『ライヴ・アット・ザ・スター・クラブ、ハンブルク』はアルバムではない、犯罪現場だ」(『ローリング・ストーン誌』より)

ピアノの概念を覆すほどに暴力的でエネルギッシュなプレイをし、「ザ・キラー」(殺し屋)の異名を持つジェリー・リー・ルイス。
彼がロックンロール史に残る熱演を繰り広げたのは1964年の4月、舞台はドイツのハンブルクだ。

ルイジアナ州出身のルイスは、1957年にサン・レコードからリリースした「ホール・ロッタ・シェイキン」、そして「火の玉ロック」の大ヒットによって、たちまちロックンロール・スターの仲間入りを果たした。



エルヴィス・プレスリーらとともにロックンロールの黄金時代を牽引したルイスだが、順風満帆かに思えたそのキャリアに暗雲が立ち込めたのは1958年のことだった。
その年の5月、海を渡ってイギリスでツアー中だったルイスは、3度目の結婚相手が13歳の従姉妹であることを世間に知られてしまう。さらには2度目の結婚をしたとき、まだ前妻との離婚の手続きが終わっておらず、一時的に重婚していたことも発覚し、米メディアはルイスに激しいバッシングを浴びせた。
ラジオ局はルイスの名をブラックリストに載せ、コンサートホールで公演をすることも困難な状況に追い込まれてしまった。

突如として業界から追放されてしまったルイスだが、それでも小さなライヴハウスを中心にして、精力的に活動を続けていく。
そして1960年代に入るとアメリカだけでなく、イギリスやドイツ、フランスといったヨーロッパへと活動の場を広げるのだった。

そんなルイスに目をつけたのがクラシックで有名なオランダのレコード会社、フィリップスでジャズ部門のトップだったジークフリート・ロッホという男だ。
ある日ロッホは、イギリスやドイツの若いバンドが歌っている曲の多くが、アメリカのロックンロールであることに気づいた。彼らにとってはエルヴィス・プレスリーやジェリー・リー・ルイス、ジーン・ヴィンセントこそがヒーローだった。
そこにヒットの可能性を見出したロッホは、レコード会社の上層部にロックンロールのライヴ・アルバムを作りたいと提案したのである。

1964年の4月5日、2年前にはビートルズも出演したハンブルクのライブハウス、スター・クラブのステージにジェリー・リー・ルイスが現れると、会場からは割れんばかりの歓声が上がった。
その熱気に呼応してか、ルイスはいつも以上に激しい演奏をし、ヒートアップするにつれて暴走機関車のようにテンポをぐんぐん上げていく。
ルイスの熱演によって観客は狂乱状態となり、会場は恐ろしいほどの熱気に包まれた。

曲目はルイス自身のヒット曲だけでなくリトル・リチャードやカール・パーキンス、さらにはレイ・チャールズやハンク・ウィリアムスの曲まで、ジャンルを問わず幅広く取り上げられた。
それら全てを、ジェリーは荒々しいロックンロールへと変貌させるのだった。



その熱気を余すことなく捉えたライヴ・アルバム、『ライヴ・アット・ザ・スター・クラブ、ハンブルク』は、残念ながらヒットには至らなかった。
しかしその後、多くの評論家によって再評価され、今ではローリング・ストーン誌やオール・ミュージックといったメディアが、このアルバムを「最も偉大なロックンロール・ライヴ・アルバム」と位置づけている。

後年、このアルバムについてインタビューで尋ねられたルイスはこのように答えている。

「よく覚えているよ。なんと素晴らしい夜だったことか。
ファンは最高だったし、あれこそが純粋なジェリー・リー・ルイスのロックンロールだ」










Jerry Lee Lewis『Live at the Star-Club Hamburg』
Mercury Records

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