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この世で最後の夜となったスティーヴィー・レイ・ヴォーンの名演

2015.08.26

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スティーヴィーのこの世で最後の夜の演奏を聴いた時、私は完全に圧倒されて口もきけなかった。

(「エリック・クラプトン自伝」より)

1954年にテキサス州ダラスで生まれたスティーヴィー・レイ・ヴォーンは、兄であるジミーの影響で幼いころからギターを弾き、兄弟ともに凄腕のギタリストとして地元で知られた存在だった。
高校を中退してからは活動をオースティンに移し、バンドを結成してキャリアを積んでいく。

そして1982年、27歳となったスティーヴィーはその腕を認められて世界最高のフェスの一つ、モントルー・ジャズ・フェスティバルへの出演を果たし、翌年にファースト・アルバム『Texas Flood』をリリースして数々の賞を獲得、一躍スティーヴィーは世界に知られるギタリストとなった。

しかしその生涯は儚く、1990年8月27日未明に突如として幕を閉じることになる。

8月26日、アメリカ北部のウィスコンシン州ではブルース・フェスティバルが催されていた。
エリック・クラプトンやブルース・ギターの大御所、バディ・ガイといった豪華な顔ぶれが並ぶ中、スティーヴィーはトップバッターで登場すると、クラプトンが口もきけなくなるほどの迫真のプレイで会場を沸かせた。


しかしその数時間後、フェスを終えた出演者を乗せて会場からホテルに飛び立った4機のヘリコプターのうち1機が、深夜という視界の悪さ悪天候により、方向を見失って山の斜面に追突してしまう。
そのヘリコプターにはスティーヴィーも乗っていた。
享年35、才能豊かなギタリストは早すぎる死によって伝説的な存在となる。

この日、フェスの最後には出演者全員による「Sweet Home Chicago」が演奏された。
結果としてスティーヴィーにとって最後の演奏となってしまったのだが、ブルース・ギターの名手に囲まれてもスティーヴィーの演奏はかすむことなく、まばゆい光を放っている。


(このコラムは2014年2月11日に公開されたものです)

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