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クリッシー・ハインドから勇気をもらったデビュー前のマドンナ

2018.04.24

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マドンナがダンサーになるため、大学を中退して単身ニューヨークへとやってきたのは1978年のことだった。
持っていたお金のほとんどは交通費でなくなり、ポケットに残っていた所持金はわずか35ドル。のちにマドンナは「これまでの人生でもっとも勇気のいる行動だった」と振り返っている。

稼いだお金は家賃とダンスのレッスン料で消えていき、食べるものにすら困る無一文の貧しい日々が続いたが、それでもマドンナはひたむきに努力を続けた。

詳しくはこちらのコラムをどうぞ

やがてダンスよりも音楽の世界で成功することを夢見るようになったマドンナは1980年、バンドに加入してドラムやギターを担当するようになる。
セントラルパークでプリテンダーズのライブを観たのは、ちょうどその頃のことだった。



プリテンダーズは女性ボーカルのクリッシー・ハインドを中心にして、1978年にイギリスで結成されたバンドだ。

クリッシーの出身はアメリカのオハイオ州だが、1973年に渡英して大手音楽誌であるNME誌で記事を書き始める。
しかしライターの仕事は自分には向かないと感じ、パンクの仕掛け人として知られるマルコム・マクラーレンの洋服屋で働いたり、パリに行ってバンドを組もうとしたりなど、自分の道を見つけようと模索し続けた。

1976年にはイギリスへと戻り、パンク・ムーヴメント真っ只中のロンドンに身を置く。そしていくつかのバンドを転々とするがどれも上手くいかず、気がつけば一人取り残されていた。

「街で私が知っている人たちはみんなバンドを組んでいたわ。そこにいた私はまさに負け犬って感じね」


大きな挫折を味わったクリッシーだが、諦めることはなかった。そうして1978年に結成されたのがプリテンダーズだ。
翌1979年にキンクスのカヴァー「ストップ・ユア・ソビング」でシングル・デビューを果すと、その年の秋にリリースした3枚目のシングル「ブラス・イン・ポケット」が全英チャート1位の大ヒットとなる。
年末年始にリリースされた1stアルバム『プリテンダーズ』は英米ともにヒットし、プリテンダーズは瞬く間に注目を集めるのだった。



1980年の夏、セントラルパークでプリテンダーズのライブを見たマドンナは、そのときのクリッシーについてこう話している。

「それまで見てきたパフォーマンスの中で彼女は、自信に溢れていて、尊敬に値する唯一の女性だったわ。
男社会の中で強く生きる女性の姿を見て、彼女から勇気とひらめきをもらったの」


自分が成功することを強く信じていたマドンナだが、それでもクリッシーの姿には勇気づけられたという。
それはクリッシーの放つ自信が、苦難の日々を乗り越えたことによって生まれたものだからかもしれない。

やがてマドンナはバンドを抜け、ソロのアーティストとして自身を売り出していく。
その才能を見出され、1stシングル「エヴリバディ」をリリースするのは、1982年のことだ。


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