TAP the LIVE

シンディ・ローパー~苦境の中で必要なもの

2014.03.11

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2011年3月11日に起きた東日本大震災、そして原発事故。
多くの海外ミュージシャンが日本公演をキャンセルする中、シンディ・ローパーは日本に残ってライブを決行した。

もしあなたが道を見失っても 見渡せば 私がいるわ

何度でも 何度でも

もしあなたが倒れたら 私が受け止めるから 待っているわ

いつまでも いつまでも


シンディがソロ・デビューしたのは1983年。
同じ年にデビューしたマドンナが25歳だったのに対し、シンディはこのときすでに30歳、他のミュージシャンと比べてもかなりの遅咲きだった。

1953年に生まれたシンディは12歳でギターを手に取ると、その後いくつかのバンドで活動したが、77年に声帯を痛め声が出なくなってしまう。
医者からはもう二度と歌えないだろうと通告された。

しかし、ヴォイス・トレーナーの支えと懸命なリハビリによって一年後に再び歌えるようになったシンディは新たに自身のバンド、ブルー・エンジェルを結成する。

それから2年後の1980年、ブルー・エンジェルはついにポリドールと契約を結び、念願のデビューを果たした。
しかしセールスは思ったほど伸びず、レコード会社やマネージャーとのトラブルも起きてバンドは解散、さらには訴訟を起こされて自己破産してしまう。
何もかも失ったシンディだったが、それでも歌を諦めることはなかった。

1983年の春。
生活費を稼ぐのためにリサイクルショップや日本料理屋で働き、クラブやバーで歌っていたシンディに手を差し伸べたのが、彼女のマネージャーとなるデヴィッド・ウルフだった。
デヴィッドの紹介でレコード会社との契約が決まると、秋にはファースト・アルバム『Shes So Unusual』でソロ・デビュー、そしてシングル・カットされた「Girls Just Want to Have Fun」が、全米2位を記録する。

そして84年にリリースしたセカンド・シングル「Time after Time」がついに全米1位の大ヒットとなり、シンディはようやっとシンガーとしての成功を掴んだのだった。

震災から1年後の2012年3月、再び来日したシンディ・ローパーは記者会見で震災後も日本に留まった理由についてこう答えている。

歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。
立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、
それともその人を踏んで歩くのか、ということです。
私は転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました。

(NHK「かぶん」ブログより引用[http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html])



Cyndi Lauper『Shes So Unusual』
SMJ

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