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エルトン・ジョンはフレディ・マーキュリー追悼コンサートにどんな想いで臨んだのか

2023.11.24

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1970年代を彩った2人のスーパースター、フレディ・マーキュリーとエルトン・ジョン。
フレディがエルトンのことを知ったのは、1960年代の終わり頃だ。

その日、フレディはいつものようにクロウダディ・クラブにライブを観に来ていた。
そこはかつてローリング・ストーンズがハウスバンドだったクラブであり、アメリカからきた多くの伝説的なブルースマンたちが出演した場所であり、エリック・クラプトンやレッド・ツェッペリンもプレイした場所だった。

いわばロックの聖地ともいえるクロウダディ・クラブは、ロック・スターを目指していた若き日のフレディにとって、夢に近づける場所だったのである。

ステージに上がってきたのはまだ無名だった頃のエルトン・ジョンだった。
このときは言葉を交わすこともなかったが、そのピアニストがのちに親友となるとは夢にも思わなかったことだろう。

2人の交流が始まるのはそれから数年後、そのとき2人はすでにスーパースターとなっていた。
初めて言葉を交わしたときのことについてフレディはこのように振り返っている。

「初めて会ったときから最高なヤツですぐに仲良くなったよ。
『キラー・クイーン』が好きだと言ってくれてね、そういう人は“ホワイトブック”に記すんだ。
ちなみに“ブラックブック”(要注意人物リスト)のほうは記入がたくさんで溢れんばかりだよ!」


フレディにとって心の許せる数少ない友人となったエルトン・ジョン。
2人の間にはいくつかの共通項があった。

セクシャルマイノリティであることや外見にコンプレックスを抱えていること、本名ではなく芸名で活動していること、そしてステージでは過剰なまでのパフォーマンスを披露することなど。
似たような悩みを抱えながらスーパースターを演じ続けてきた2人は、互いにもっともよき理解者だったのである。

それゆえに、フレディがエイズであることを聞かされたとき、エルトンは計り知れないほどのショックを受けた。
表向きにはずっとエイズであることを否定し続けたフレディだが、エルトン・ジョンは早い時期に真実を教えられた数少ない人物の一人だった。

エイズという病の前では為す術もなく、エルトンは友人がやせ衰えていくのをただ見ていることしかできなかった。
そして1991年の11月24日、唯一無二の友人はこの世を去ってしまう。

悲しみに暮れていたエルトンのもとに絵画が届いたのは、1ヶ月が過ぎたクリスマスのことだ。

親愛なるシャロンへ。君が気に入ってくれるだろうと思って。メリーナより愛を込めて。ハッピー・クリスマス


シャロンとメリーナは2人の愛称だ。その絵画はフレディからのクリスマスプレゼントだった。

「この美しき人は、エイズで死を目前としながら、最期の日々に、どういうわけか僕への愛に満ちたクリスマスプレゼントを探してくれていたんだ」


翌1992年の4月20日、フレディ・マーキュリーを追悼するコンサートが開催された。

エルトン・ジョンが歌ったのはクイーンの大ヒット曲「ボヘミアン・ラプソディ」、そして晩年に発表された「ショウ・マスト・ゴー・オン」だ。
誰よりも強い気持ちでステージに臨み、精一杯の愛をフレディに捧げたであろうことは想像に難くない。

過ぎた日の物語は
朽ちることなく生き続けるだろう
僕はまだ飛べるんだ 友よ
さあ、ショウを続けよう









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