街の歌

Le métèque(異国の人)〜エジプト生まれのギリシャ人がパリの街で紡いだ多国籍ソング

2017.06.18

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よそ者の顔をした僕
彷徨えるユダヤ人
ギリシャの牧人
泥棒の浮浪者の顔
僕の肌
それはすべての夏の太陽に刃向かう…


ジョルジュ・ムスタキという男をご存知だろうか?
エジプトはアレキサンドリア生まれのギリシャ人という生い立ちを持つ彼は、17歳の時に一人パリに移り住み、ピアノバーなどで働きながら、当時の音楽シーンの有名人達と知り合う。
シャンソン界の大御所ジョルジュ・ブラッサンスを信奉していた彼は、ある日、音楽仲間からエディット・ピアフを紹介される。
ピアフは彼に一目惚れをし…彼は当時、妻子ある身でありながら約1年間ピアフの恋人だった時期もあったという。
その頃、彼がピアフのために作曲した「Milord(ミロール)」がヒットしたことをきっかけに、イヴ・モンタンをはじめ名だたる歌手に依頼を受け、79歳で亡くなるまでに生涯を通じて300以上の曲を書いた才人である。


彼を知る音楽ファンに「Milord(ミロール)に次ぐムスタキの代表曲は?」訊けば、多くの人が「Le métèque(異国の人)」と答えるという。
その歌は一体、どんな背景で、どんな想いで紡がれた歌なのだろう?
それは1968年、彼が34歳の時“五月革命”(フランスのパリで行われたゼネラルストライキを主体とする民衆の反体制運動)に政治参加した頃に作った作品だった。
タイトルにもなっている“métèque(メテック)”とは、古代ギリシャ語のメトイコスμετοίκος (metoikos)から派生した地中海を故郷とする移民(市民権のない在留外人)という意味の言葉で、この歌は無国籍者の“存在表明”として(ヒッピー全盛だった)当時の社会に歓迎されたという。
様々な人が暮らすパリの地で、それぞれが“違い”を持ちながら生きていてもいいじゃないか?人は皆違っている方が面白い!というメッセージが多くの人に受け入れられたのだ。
そんなプロテストソング的な内容に対して、イタリアからの移民でフランスでは人気シャンソン歌手・俳優として地位を確立していたセルジュ・レジアニが否定的な姿勢をとり、複数のレコード会社から楽曲の製作を拒まれることとなる。

「たとえ小さなことだろうが、人々の潜在下に残された傷跡が反人種差別への讃美歌となり、すべてのマイノリテイ達の異なることへの権利を叫ぶ運動へとつながるだろう!」(ジョルジュ・ムスタキ)

ギリシャ系ユダヤ人の両親がエジプトに亡命中に生まれた彼。
若くしてパリに移り住み、自らを無国籍の“地中海人”と称していたという。
「愛」「旅」「人間」をテーマに、シャンソンをはじめブラジルの音楽などにも傾倒しながら、まさに多国籍な作品を作り続けた彼は“自由の求道者”であり、その魂は常に“異国の人”だった。



<参考文献『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』向風三郎(音楽出版社)>




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