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St.Louis Blues〜戦時中に敵も味方もなく聴かれたという一枚のレコード

2017.07.23

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この歌は「ブルースの父」と呼ばれた男、W.C.ハンディ(ウィリアム・クリストファー・ハンディ)が1914年に楽譜出版した楽曲だ。
現在ジャズのスタンダードナンバーとして知られるこの曲は、ブルース〜ポップスと脈々と続く音楽史の中で多くのミュージシャン達から愛され続け…なんとこれまで録音された回数が1500を超えるというから驚きである。
代表的なものだけでも、ベッシー・スミス、ルイ・アームストロング、キャブ・キャロウェイ、ベニー・グッドマン、ナット・キング・コール、グレン・ミラー、チェット・アトキンス、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツなどなど…名を上げればきりがない。
中でも、1925年に録音されたベッシー・スミスとルイ・アームストロングの共演は、アメリカ音楽史に残る名演とされている。
ベッシーのヴォーカルとサッチモのコルネット、そして伴奏はオルガンだけによる、奇蹟のようなのテイクが残っているのだ。


作曲者のW.C.ハンディは、若い頃にアメリカ中を放浪しながらコルネット奏者・歌手として活躍していた。
この曲の誕生には諸説ある。
彼が放浪生活をしていた当時は黒人差別が強く、なかなか仕事をもらえなかった。
ある日、セントルイスに着いた時に、ついに無一文になった彼は同じ黒人たちに施しを受けながら生活をした。
そんな暮らしの中で、彼は各地で耳にした黒人たちの“嘆き”を楽譜に書き起こしたという説がある。
また、彼が放浪していた頃にメンフィスの酒場の二階に住んでいたことがあり…ある日、その酒場のカウンターで男に捨てられた女が酒に酔って嘆いている姿に触発されて曲を書き上げたという一説もある。

夕暮れ時に陽が沈んでいくのを見るのが嫌いなの
だって彼が私のもとから出ていっちゃうから


歌詞はこんな台詞から始まり、物語風に進んでゆく。
この“夕暮れ時に”という歌詞は、当時の流行語になったほどの名フレーズだった。
実はこの歌、タイトルに反して曲の形式はブルースではなく3部構成からなる曲で、各部違った曲想と歌詞が盛り込まれている。
一般的な“ブルース進行”とは異なり、16小節のインタールード(いわゆるBメロ)が存在するのだ。
また、落語家の林家木久扇(初代・林家木久蔵)が1978年にリリースしたシングル「いやんばか〜ん」は、この歌を基に作られたという。



1958年3月28日、W.C.ハンディは84歳でこの世を去る。
ニューヨークのハーレムで行われた彼の葬儀には2万5千人を越える参列者が訪れ“ブルースの父”の死を惜しんだという。
現在、彼はニューヨーク市ブロンクス地区にあるウッドローン・セメタリーという墓地で静かに眠っている。
彼は晩年、70歳の時に事故で失明をしてしまう。
そんな彼のもとに“生涯の宝物”となるレコードが届けられたという。
それは、日本の硫黄島の洞窟で発見されたレコードで、日本兵が持っていた日本語の「セントルイス・ブルース」だった。
太平洋戦争末期、アメリカの総攻撃を受けた硫黄島は、激戦の後アメリカ軍に占領された。
遺体と遺品だけが残っていた防空壕の中に、その一枚があったというのだ。
それは、敵国の音楽として禁止されていたレコードだった。
晩年、彼はそのレコードを聴くのが大好きだったという。
彼は生涯大切にし、子供たちにこう言い遺した。

「これは、敵も味方もなく同じ歌が聴かれたことを物語るかけがえのない一枚なんだ。」


そのレコードは、彼の孫たちによって大切に保管されているという…。


<引用元・参考文献『スタンダード・ヴォーカル名曲徹底ガイド下巻』音楽出版社>

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