街の歌

チュニジアの夜〜アフリカ、アラビア、キューバの文化が混ざり合ったビバップの名曲

2017.12.03

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月はいつもと変わらず空高く昇り
夕焼けに染まり赤く輝いている
でもこのキラキラと輝くチュニジアの夜ほど
まばゆく輝く夜を他に知らない

星たちはダイヤモンドのように光り
まるで天国にいるよう
でもこのはてしない砂漠の夜を通り抜けるすべは
この溢れんばかりに輝く星たちの導きだけ
そのこと知っているのは賢者だけ


チュニジアの夜。
どんな曲かは知らなくても、どこかで目にしたことのあるタイトルではないだろか?
チュニジア共和国とえいば、サハラ砂漠より北にある北アフリカに位置しながらも地中海に面していて、アラビア語が使われていることもあり、中東との交流が多い国。
そんな背景を持つこの曲は、キューバを中心に発展したラテン系のアフロ・キューバン・ジャズと呼ばれる中南米のリズムを基調としたエキゾチックでエキサイティングなビバップナンバーとして多くのジャズメンから愛されてきた。
アフリカ、アラビア、キューバと、まさに異文化が熱くクールに混ざり合った“ジャズならでは”の魅力に溢れた楽曲なのだ。
ジャズ好きならば誰もが知っている有名なトランペット奏者ディジー・ガレスピーが1942年に作曲したとされており、共作者としてピアニストのフランク・パパレリが名を連ねている。
もともとはアール・ハインズ(ジャズピアノの開発途上で最も影響力のある人物の一人)が率いる楽団に所属していたガレスピーが、コンボ(小編成)グループ向けに作曲したものと言われており、作曲時期がちょうどアメリカのミュージシャンユニオンによるレコード録音長期ストライキに当たっていたことから楽曲に関する資料が乏しい。
よって、初出の時期や初めてレコーディングされた時期など正確な記録が残っていない。作曲年については1942年、1943年、1944年と、資料によって異なるが…現在は1942年説が有力だとされている。


1944年、もともとはインストゥルメンタルだったこの曲に、ビバップスキャットの第一人者として知られるジョン・ヘンドリックスが歌詞をつけた。
その後、1946年にエラ・フィッツジェラルドが自ら作詞して歌ったのきっかけに、アニタ・オデイやサラ・ヴォーン、チャカ・カーンなど様々な歌手が歌詞に手を加えながら唄い継いできた。




この歌が広まっていった1946年頃といえば第二次大戦が終わった時期で、黒人の人権意識が高まり出した頃でもある。
戦場ではたくさんの黒人兵が亡くなったと言われている。
危険な任務ほど黒人に任され、手柄は白人将校が持っていった。
黒人は自分たちの帰る場所としてアフリカを考え始めるようになる。
そんな彼らにとってチュニジアとは“魂の故郷”の象徴でもあったのだ。

異国の輝きにみちた美しい“夜の物語”を語るには
言葉だけではとても語りつくせない
チュニジアの夜ははるか長い年月を経て…
より神秘さを増しているから

1日の中で感じる心配事も不思議とどこかへ消え
夜の訪れとともに自由をもたらしてくれる
このチュニジアのすばらしい夜は
いつでも平和に満ち溢れている


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