街の歌

Danny Boy〜アイルランドで生まれた珠玉のメロディーに込められた平和への願い

2018.01.21

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アイルランドの北西部に位置する港町、ロンドンデリーには“アイリッシュ”と呼ばれるケルト人の子孫が多く暮しているという。
この町名、350年ほど前までは単に“デリー”だった。
1618年に、この地に勢力をのばしたジェームズ一世がロンドンの名を冠にして“ロンドンデリー”と呼ばせるようにしたという。
イギリスにとって最初植民地となったアイルランドは、12世紀から800年間に渡って、その宗教と言語(ゲール語)に対して信じられないほどの差別と抑圧を受けた。
1800年頃になると、その地に暮す人々によって幾つもの民謡が生み出されるようになる。
それらは支配していたイギリス人が聴けば、ただの“愛の歌”に過ぎないが…アイルランド人たちにとっては別の意味も含ませた内容だったという。
17世紀頃から歌い継がれてきたこの「Londonderry Air(ロンドンデリーの歌)」も、そうした特別な歌の一つだった。


哀愁漂うメロディーが印象的なこの楽曲には作者のクレジットが存在しない。
19世紀にジミー・マッカリーという盲目のヴァイオリニスト(アイルランド人)が路上で演奏していたものを、ジェイン・ロスという女性の民謡収集家(アイルランド人)が聴き取って採譜したという。
ジェインは、その譜面を同じ収集家仲間のジョージ・ペトリに預け、その後、彼の編纂によって1855年発行の『The Ancient Music of Ireland(アイルランドの古代音楽)』に収録された。
この書物の中では無名の曲として紹介されていたが、注釈として“ロンドンデリーのジェイン・ロスの収集によるもの”とつけられていた。
この歌のタイトルにある“Air(エアー)”とは、独唱曲(詠唱曲)を意味する音楽用語らしく、歌い手が自由に歌詞をつけたり、バージョンを変えたりしながら歌われる楽曲のことを表す言葉なのだそうだ。
辛く悲しい運命に翻弄されながら…ケルト人たちは、このメロディーにさまざまな詞(ことば)をのせて子孫へと歌い継いできた。
現在でも数多くのタイトルと歌詞(バージョン)が存在する中、ダブリン生まれでアイルランドの文芸復興運動などでも活躍したアルフレッド・グレイブスという人物が編集した本『The Irish Song Book』(1894年出版)で、この歌に“成長して家を出て行った息子を想う母の気持ち”をのせて歌詞を完成させた。
ついで、アイルランドの詩人トーマス・ムーアが「The Last Rose Of Summer」というタイトルで“あなたの胸を飾るリンゴの花になりたい”と、感傷的な歌詞をつけた。

もし私がリンゴの花だったなら
ねじれた枝からふわり浮かんでふわり落ちて
貴方のシルクの胸元に舞い降りたい

もし私が磨かれたリンゴの実だったら
木漏れ日の中でローブが揺れる
金色の髪の貴方にもぎ取ってほしい

もし私が野薔薇だったら
軽やかに舞う貴方に身を傾け口づける
貴方に触れたいがために開く下枝の芽

貴方が愛してくれないのなら
庭の小道に咲くヒナギクとなって
銀色の靴を履いた貴方に
枯れるまで踏み潰されたい


20世紀の初頭、世界では人類史上最初の世界大戦(第一次世界大戦)が始ろうとしていた。
1913年、この歌にイギリスの法律家で作詞家だったフレデリック・ウェザリーが「Danny Boy」というタイトルで歌詞をつける。
きっかけはウェザリーのもとにアメリカから義妹が送ってきた一枚の楽譜だったという。
そのメロディーはウェザリーにある歌詞のことを思い出させた。
それは彼が3年前に別の曲の歌詞として書いていたもので、そこには第一次世界大戦を前にした混沌とした世相が描かれていたという。
古くからアイルランドで歌い継がれてきた哀愁漂うメロディーに感銘を受けたウェザリーは、曲に合うように手直しをして「Danny Boy」として歌詞を完成させたのだ。
彼は戦場に赴く息子の姿を見送る母(または父)の悲しみと“至上の愛”をメロディーにせた。

ああ私のダニーよ バグパイプの音が呼んでいるよ
谷から谷へ 山の斜面を駆け下りるように
夏は過ぎ去り 薔薇もみんな枯れ落ちる中
おまえは…おまえは行ってしまう

夏の草原の中 戻ってきて欲しい
谷が雪が静かに白く積もるときでもいい
日の光の中 日陰の中 私はここに居るから
ああ私のダニーよ おまえを心から愛しているよ

すべての花が枯れ落ちる中 おまえがここに帰ってきて
もしも私が先に死んでしまっていても
どうか私が眠る場所を探してひざまづき…
私のために祈りを捧げて欲しい

おまえが私の上を静かにそっと歩く足音が聞こえる
おまえが愛してると言ってくれたとき
私は暖かく心地よい空気に包まれる
私は安らかに眠り続けるから…
おまえが私のもとへ帰って来てくれるその時まで


時が流れ…第二次世界大戦中には、人気歌手のビング・クロスビーがレパートリーとしていたこともあって「Danny Boy」は世界へと広まっていき、戦後の日本でも江利チエミや美空ひばりが歌って人々に愛された。
日本語でもいくつかの歌詞が存在する中、作詞家・作家のなかにし礼が手掛けた日本語歌詞は特に秀逸だ。
2014年、なかにしは平和への願いを込めて毎日新聞夕刊にこんな寄稿(メッセージ)を残している。

集団的自衛権が閣議決定された
かくして君たちの日本はその長い歴史の中のどんな時代よりも
禍々(まがまが)しい暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの醜悪と愚劣、残酷と恐怖の戦争が始まるだろう
巨大な歯車がひとたびぐらっと回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか?
国のため?
大義のため?
そんなもののために君は銃で人を狙えるのか?
君は銃剣で人を刺せるのか?
君は人々の上に爆弾を落とせるのか?

若き友たちよ
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいてないからだ
世界史上類例のない
69年間も平和がつづいた理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ

平和ボケ? 
なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者(ひきょうもの)? 
そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
何か清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか
怖(おそ)れるものはなにもない

愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれ出た時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない、が、殺してもいけない
だから今こそ!もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!



おおダニーボーイ いとしきわが子よ
いずこに今日は眠る
戦(いくさ)に疲れた体を
休めるすべはあるか
お前に心を痛めて 眠れぬ夜を過ごす
老いたるこの母の胸に
おおダニーボーイ おおダニーボーイ 帰れよ

おおダニーボーイ いとしきわが子よ
便りもすでに途絶え
はるかなその地の果てにも
花咲く春は来るか
祖国に命をあずけた お前の無事を祈る
老いたるこの母の胸に
おおダニーボーイ おおダニーボーイ 帰れよ

(日本語歌詞:なかにし礼)

<参考文献『世界の愛唱歌』長田暁二(ヤマハミュージックメディア)>







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