街の歌

中央フリーウェイ〜ユーミンが描いた黄昏の道は、新しい時代への滑走路だった

2018.03.18

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2017年3月1日、“日本音楽界のレジェンド”と呼ばれた男、かまやつひろしが
78歳でこの世を去った。
二ヶ月後に東京都内のホテルで行なわれた彼の音楽葬には各界の著名人たちが集まり、
その顔ぶれの中には松任谷由実の姿もあった。
彼女が“荒井由実”と名乗ってデビューした1stシングル「返事はいらない」のプロデュースはかまやつだった。
二人の出会いは、彼女がまだ13歳の頃だったという。
以来、彼らは50年間にも渡って親交を温めてきた。
その日、彼女は自身が結婚する直前にかまやつのために書いた楽曲「中央フリーウェイ」を歌い、こんな思いを語った。

「長年の間に私も成長したにも関わらず、よく男と女の関係にならなかったなと思う(笑)。ムッシュとの関係は…ものすごく洗練されたデリカシーのある希有(けう)な男と女の友情だった。」


中央フリーウェイ 
調布基地を追い越し 山にむかって行けば
黄昏がフロント・グラスを染めて広がる
中央フリーウェイ 
片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
愛してるって 言ってもきこえない 風が強くて

町の灯が やがてまたたきだす 
二人して 流星になったみたい


ユーミンがこの歌が発表したのは1976年。
“荒井由実”名義の最後の作品となったアルバム『14番目の月』に収録された楽曲で、彼女はこの直後に同作のプロデューサーだった松任谷正隆と結婚して“松任谷由実”と名乗るようになる。
この時代(昭和51年)と言えば…70年安保闘争をピークとした学生運動の熱も冷めてしまい、様々なものが過渡期を迎えていた頃。
それは、若者たちの“気質”が変わろうとしていた時期でもだった。
政治的な思想に染まる学生たちや、親からの仕送りもなく独力で学業を学ぼうとする苦学生も姿を消しつつあった。
政治よりも日々の暮らしをエンジョイする、いわゆる“ノンポリ”と呼ばれる若者が大半を占めるようになる。
彼らをあらわす言葉として“新人類”という新語が生まれたのもこの頃だった。
新人類たちの中には、若くして車を持つ者もいたという。
そんな中、日本の発展の象徴ともなった中央自動車道が全線開通を目前にしていた。
調布方面から八王子方面に向かって車を走らせると見えてくる景色をそのまま歌にしたのが、この「中央フリーウェイ」だった。

調布基地(調布飛行場)
競馬場(府中競馬場)
ビール工場(サントリー武蔵野ビール工場)


歌詞に登場するそれらは当時、中央自動車道を走行しながら実際に見ることができたという。
誰もが知っている高速道路を“中央フリーウェイ”という造語に言い換えることによって、実在の風景がまるで日本ではないものに思わせてしまうのがユーミンの凄さである。

片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
愛してるって言ってもきこえない 風が強くて
町の灯が やがてまたたきだす 
二人して 流星になったみたい


当時、こんなロマンティックなドライヴデートは一部の裕福な人だけが楽しむ特別なものであったが、多くの庶民たちの憧れでもあった。
そんな時代を過ごした若者たちにとって、東京西部を東西に貫通する“中央フリーウェイ”は、新しい時代への滑走路だったのかもしれない…

<参考文献『歌がつむぐ日本の地図』帝国書院>


中央フリーウェイ 
右に見える競馬場 左はビール工場
この道は まるで滑走路 夜空に続く
中央フリーウェイ 
初めて会った頃は 毎日ドライブしたのに
このごろは ちょっと冷いね 送りもせずに

町の灯が やがてまたたきだす 
二人して 流星になったみたい

中央フリーウェイ 
右に見える競馬場 左はビール工場
この道はまるで滑走路 夜空に続く…




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